- 宮崎 勇気
4.5)“日に新た”⑨(5)“日に新た”の実践的機能“魔法のメガネ”①
4.自然の理法に従う 5)“日に新た”⑨
(5)“日に新た”の実践的機能 “魔法のメガネ” ①
それでは、上に述べた「日に新た」を実践することを妨げる“障害”を克服して変化に適応して行くためには、どうすればよいか?
「日に新た」の実践を妨げる“障害”は、これまで見て来た通り、第一に、情勢の変化に応じて好調時には“驕り”“傲慢”となり、あるいは、安心して“油断する”、不調時には“意気消沈”してしまうというように、“感情”に流され、“感情にとらわれる”ことであり、第二に、“過去の成功体験”や“成功したビジネスモデル”などにとらわれること、第三に、自分を守ろうとして、その経営危機の原因と責任を外部の現象に転嫁し、環境の変化という不可抗力によるもので仕方がない、自分は“犠牲者だ”と考えること、換言すれば、“自己防衛”という“自分の利害”にとらわれることであった。
いずれの障害も、結局は“何か”に“とらわれた姿”であり、そのような“とらわれ”がある以上、私たち人間は、その“とらわれ”を“軸”として、無意識のレベルで“削除”“歪曲”“一般化”のメカニズムが働くために、目の前の現実が客観的に正しく認識・評価できず、環境の変化やその経営への影響、自身や自社が変わらなければならないという必要性に気づかず、変化へ適応ができないのである。
それ故にこそ、松下幸之助は、「人間は心にとらわれがあると、物事をありのままに見ることができない。たとえて言えば、色がついたり、ゆがんだレンズを通して、何かを見るようなものである。」(「実践経営哲学」pp.110-111)と言い、目の前の環境の変化をありのままに正しく認識し、評価・解釈し、正しい判断を下すためには、まず“とらわれない素直な心”を持つことが“鍵”だと考えた。曰く、「それに対して、素直な心は、そうした色やゆがみのないレンズでものを見るようなもので、白いものは白く、まっすぐなものはまっすぐに、あるがままを見ることのできる心である。だから、真実の姿、物事の実相を知ることができる。」(「実践経営哲学」p.111)
“とらわれない素直な心”を持つことによって、初めてその“何か”への“とらわれ” から脱却し、その影響から解放されて、“とらわれ”による“削除”“歪曲”“一般化”のメカニズムの“弊害”を免れ、初めて目の前の環境の変化という事実を“ありのままに”見ることができるようになる。そこで初めてその環境の変化という“事実”に気づき、あるいは、“その変化が自らの経営に与える影響”を客観的に正しく評価して、“経営の危機”を認識することができるようになり、それまでの成功したやり方を変えなければならないこと(経営革新の必要性)に気づくことができるのである。
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