• 宮崎 勇気

(2)「一商人なり」①商売の本質を分かっている①


3)お客様大事の心に徹する

(2)「一商人なりとの観念を忘れず」

   ①商売の本質を分かっている①      

 松下電器製作所が、“株式会社”に衣替えした1935年に、「松下電器基本内規」というものが作られた。その第15条で、松下幸之助は、「松下電器カ将来如何ニ大ヲナストモ 常ニ一商人ナリトノ観念ヲ忘レス 従業員又ソノ店員タル事ヲ自覚シテ質実謙譲ヲ旨トシテ業務ニ処スルコト」と述べている。企業の規模が大きくなったときに、人間の心の弱さから奢って、傲慢になり、“一商人なりとの観念”という原点を忘れ易いことを見越して、そのことを決して忘れてはならないと強く警告したのである。当時まだ資本金が1000万円、従業員数が2874名の頃であり、このような初期の事業規模も小さい中小企業の段階においてこの点を予め指摘している点に、松下幸之助が、人間の本質を正しく見極めた慧眼の持主であったことが窺われる。

 それでは、ここで言う“一商人なりとの観念”とは何を意味するのであろうか?三つの意味があるとされる。第一に、“商売の本質”“商人の使命”がわかっているということ、そして、その上で“収支を立てること”、第二に、“お客様の心が読める”、即ち“相手の立場に立って考える”こと、第三に、“感謝の心、謙虚な気持ちを忘れない”ことである。以下、これら三つの意味を順次詳しく見て行く。

① 商売の本質(“人々の役に立つ”“収支を立てる”)を分かっている

 まず、第一の意味、「商売の本質」「商人の使命」がわかっているということ、そして、その上で「収支を立てること」である。ここで「商売の本質」とは、“人々のお役に立つこと”であり、松下幸之助は、「商売の本質は世の為人の為の奉仕なり」(「商売戦術三十か条」第一条)と述べている。

 それは、丁稚奉公時代に五代自転車店の主人五代音吉氏に叩き込まれたことであった。即ち、“商売の本質”は、人々のお役に立つことであって、それさえやっていれば、人々は支持してくれる、支持してくれるということは、商品・サービスを買っていただける、そして、結果として商売はうまく行く、という意味である。これは、単なる“建前”ではなく、実際の商売の実践の中から生まれてきた先人の知恵であり、それは“商売の本質”を捉えた“真理”である。それをきっちりと実践しさえすれば、結果として商売は必ずうまく行くという“実際の効果”を伴ういわば“商売の王道”なのである。

 また、それは商売の結果だけでなく、そのプロセスにおいても、“実際の効果”を生む。即ち、この“人々の役に立つこと”という一点に意識をフォーカスし、“為すべきこと”は何かを考えて、考えて、考え抜く。そこに意識と活動を集中していけば、“人びとの求める商品が何か”についての情報が地引網のように集まって来て(“焦点化”)、人々の求める商品が分かってくる。その結果、人々の求める商品を作り出すことができるのである。具体的なやり方の知恵と工夫は後から生まれてくるのである。

 それは、買う立場に立ってみれば、よりよくわかる“人々の役に立つ”ということは、具体的には、人々の期待に応える、さらには、人々の期待を超えて感動させる、あるいは、人々の現状の不満を解消するということ、一言で言えば、“人々をより幸せにすること”とも言えよう。とすれば、不満を解消し、期待に応えて、さらには感動させて、自分を幸せにしてくれることに代金以上の価値があると思えば、人々はそれを支持し、対価を支払ってくれるのだ。

 逆から“対立軸”を考えてみる。この「商売の本質」に反する商売や事業の考え方ややり方というのはどのようなものであろうか。“人々の役に立つこと”を妨げ、「商売の本質」に反する考え方ややり方とは、一言で言えば、“私の都合で”事業を行うという考え方であり、行動である。それは、意識的な場合もあれば、無意識にそうしている場合もある。そして、“私の都合”には、様々なレベルのものがある。少なくとも“個人”、“組織”と“会社”の3つのレベルがある。

 第一に、私個人のレベルの都合だ。経営者自身である場合と社員の場合がある。人は誰しも“自分が一番可愛い”し、大切である。それ故、自然と“自己中心的な物の考え方”になりがちである。そして、自分を中心に物事を考えて、自分の得になることや好きなこと、楽しいことを優先し、自分にとって損となることや嫌いなこと、苦痛となることを避けようとする。そのような人間の“心の弱さ”が、結果として、“人々の役に立つこと”を考えたり、したりしようとする際に、妨げとなるのである。仮に両者が一致することがあったとしても、それは一時的なものに過ぎず、長くは続かない。いずれ“人々の真に求めるもの”から外れて行き、事業としてうまく行かなくなるであろう。

 例えば、技術者が「自分にしかつくれない商品を作りたい」という自己実現の欲求が抑え切れず、顧客の存在を忘れ、あるいは、顧客の求めるものを“無視”(“削除”)あるいは“軽視”(“歪曲”)して機能や性能の優れた“すごい商品”を作るが、結果的に顧客の支持が得られないという場合である。一時テレビのリモコンは複雑過ぎてお年寄りには使いこなすことが難しかったことがあった。

 また、人間の“心の弱さ”から自分にふりかかるであろう将来の“苦痛”を避けて、安易な道を選ぶという場合がある。松下幸之助は、次のように述べている。「ああしなければと頭ではわかっていながら、自分が可愛いから、つい甘やかし、適当なところでお茶を濁しておきたくなるのが人間である」と述べている。(「リーダーになる人に知っておいてほしいこと II」松下幸之助述松下政経塾編p.42)

 例えば、大企業で仕事が分業化してくると、お客様にとって必要だとわかっていても、それを実現するためには、組織の壁などから多くの部門を説得し、大変なエネルギーを使わなければならない場合、“何もそこまでしなくても同じ給料はもらえるし・・”と考える“サラリーマン根性”からは、「適当なところでお茶を濁しておきたくなる」であろう。挑戦して失敗した人にマイナス評価をつけ、“敗者復活”を認めない企業風土の下では、社員は失敗することによる苦痛を避けて“挑戦”しなくなる。

 次に、組織レベルの“私の都合”である。これは、自分たちの“組織の利害”にとらわれて、自分たちの組織の目標を達成できればそれでよしとし、辛い仕事や苦しい仕事を遠ざけようとし、他の組織や会社全体のことは二の次と考える、いわゆる“部分最適”と言われる現象である。経営トップへの信頼が失われた状態で、会社の方針や戦略が全社で共有されていないような場合に陥り易い。  そして、最後に会社レベルの“私の都合”である。これは、会社としての都合を最優先する場合である。例えば、自社の売上や利益、あるいは効率化やコスト削減などの“自社の都合”にとらわれると、それ以外のことが“削除”され、“盲点”となって、見えなくなり、あるいは、自社の都合のいいように“歪めて”解釈し、それらを無視あるいは軽視するという場合である。それを最も強くリードするのは、経営者である。それ故、これは、“経営者自身の都合”による場合と言ってもよい。

 日本の家電メーカーが韓国企業に敗れたのはその例である。1980年代の物が不足し、“作れば売れた時代”に通用した規格大量生産型のビジネスモデルにとらわれ、顧客のニーズに応えるよりも企業の内部の論理である“業務の効率”を優先した。しかし、その後、物が相当程度行き渡ってきた先進国では、顧客は、もはや規格品では満足せず、“主観的満足”を求めて、そのニーズは多様化し、また地域によっても異なり、しかも、時間とともに変化するようになってきた。このような時代に、かつての規格大量生産の時代の“効率化”という“自社都合のパラダイム”にとらわれて、顧客の多様なニーズに応えようとしない企業は、結局、顧客の支持を得られず、それに応えようとする他の企業に取って替わられるのは、当然の結果であった。

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#一商人なりとの観念を忘れず

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