• 宮崎 勇気

松下幸之助の物の見方(4)“より明るい物の見方を選んでいく”④


3.人間大事の経営 

3)松下幸之助の“選んだ”物の見方考え方

(4)“より明るい物の見方を選んでいく” ④

 次にこの“より明るい物の見方を選ぶ”という考え方の松下幸之助自身の実践事例を紹介しよう。

 一つ目の例は、松下幸之助の「不景気またよし」という言葉である。

 一般的には、不景気というものは、「その時点時点で見る」「感心しない」ものであるが、「全体について見たら、不景気の過程もまた偉大なる生成発展の一つであるとも考えられる。」ここには、前提として、「宇宙に存在する万物は日に新たに、限りなく生成発展を続けていく」ものである(「実践経営哲学」p.17)という松下幸之助の価値観がある。将来は必ず“生成発展”していくことを前提として、現在を振り返るという視点から“不景気”を捉えるのである。

 また、「この世に無駄なものは何もない」との価値観から、不景気というものを捉え直すと、「不景気なるがゆえにはじめて得られるものがある。不景気になったために知らなかったことを知った・・・ということがある。それによって次の手が打てる。」(「松下幸之助一日一話」p.12)

 例えば、不景気だからこそ、会社の欠点が明確となり、また、そのような危機的な状況から抜け出すために従業員の心も一致団結して“改革”をやり切ることができるし、不景気という厳しい環境の中でこそ経営者としての人材も育つのだと言う。

 この点、松下幸之助は、ある得意先に次のように語っている。「私は、事業を始めた当初は、好景気・不景気に直面してその都度、喜んだり、多少の心配をしたりしていました。しかし、よく考えてみてふと自分の心の持ち方・考え方によって、いいときはいいとして生かすことができるが、悪いときは悪いとしてそれをまた生かすことができるはずだと思うようになりました。」

 他にも、松下幸之助は次のような応用例を挙げている。難しい事態に直面したときには、“自分の成長のための好機”と捉える、あるいは、いつも厳しく叱りつける上司は、“自分の師”と考える、さらに他人を見るときにも、“好ましい点”に重点をおいて見る、例えば神経質な性格の人は、“緻密な人”と見る。

 この“より明るい物の見方を選ぶ”という考え方は、さらに、その後、松下電器において、大きな困難や障害に直面した場合の“禍転じて福となす”事業遂行の基本的考え方となっている。

 第二次世界大戦後の昭和23年は、GHQによる松下家の財閥指定や制限会社の指定などにより、事業活動はほとんど“半身不随の状態”であり、初めて賞与の支給ができず、定期昇給も保留となるほどの“最悪の年”とも言える年であった。当時の状況を振り返って、松下幸之助は、次のように述べている。曰く、「窮状に陥っても悲観しないことです。自分は(戦争で)財産が一瞬にして無くなったことがありました。しかも莫大な個人負債ができたんです。普通は首でも吊ってしまわなければならないほどの困難な状態ですわ。しかしこれでも死んでいる人よりましや、弾に当たって死んだ人もたくさんあるこしゃかいとを思えば、ぼくは恵まれてる、こんなに恵まれている自分は幸せや、ありがたいことや、そう思ったら悲観することはない。それで歓喜をもってこの困難に取り組んでいこうと考えてやってきたと思うんですよ。」

そして、翌昭和24年の経営方針発表会において、会社として、いいときだけでなく、はじめて悪いときをも経験したことで、むしろ“事業を語る資格”を得た“有意義な年”であったと捉え、「われわれはつねに、いかなる場合、いかなる時にあっても、光明を見出していき、良くないことがあっても、それを福に転じて進んで行くということに、事業遂行の心構えを樹立しなければならないと思うのです。」と述べたのである。(「わが経営を語る」p.77)これこそ、経営の危機に直面し、危機を活かして逆に大きく発展を遂げてきた松下電器の伝統であり、その秘密であった。

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#より明るい物の見方を選んでいく

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