- 宮崎 勇気
3)松下幸之助の物の見方(4)“より明るい物の見方を選んでいく”①
3.人間大事の経営
3)松下幸之助の“選んだ”物の見方考え方
(4)“より明るい物の見方を選んでいく” ① 人間は、情勢に流され易いものである。困難や障害に直面すると、意気消沈して、それらを克服しようとの戦闘意欲を失ってしまうことも多い。
しかし、松下幸之助は、そのような否定的な物の見方を排し、“より明るい物の見方を選んでいく”という考え方を持つに至り、かつ、実践するようになった。
曰く、「物事には様々な見方があり、一見マイナスに見えることにも、それなりのプラスがあるというのが、世の中の常である。そうであるなら、同じ物を見、同じ事態に直面してもより心豊かになれる見方を選んでいくというのがより豊かな人生に通ずる道ではないでしょうか。」「忙しさや慌しさにとらわれず、一息入れて、様々な見方をし、より明るい物の見方を選んでいきたいものだと思うのです。」(「人生談義」より)
また、二宮尊徳翁のたとえ話を引用して、次のように述べている。「江戸に出て、街角で一杯の水を売っている人を見て驚き、一杯の水も金を払わないと手に入らないと言って、このようなところには住めないと、気を落として田舎に帰る若者もいる。一方、江戸では一杯の水でさえ商売になるのかと、胸を躍らせて江戸に残り、知恵を働かせ始める人もいる。一杯の水を売っているという事実は一つですが、その見方は色々あり、悲観的に見ますと、心がしぼみ絶望へと通じてしまいます。しかし、楽観的に見るなら、心が躍動し、様々な知恵や才覚が湧いてくる、ということを尊徳翁は言いたかったのでしょう。僕もその通りだと思います。」
この“より明るい物の見方を選ぶ”という考え方は、頭で理解しても、それを実践することは、必ずしも容易ではない。
少なくとも二つの問題がある。まず第一に、そもそもそのような“より明るい物の見方”の存在自体に気がつかないことが多いということ、そして、第二に気づいたとしてもそれを“選ぶ”ことが必ずしも容易ではないということである。以下順次検討して行く。
第一の問題は、私たちは、往々にして、そもそも“より明るい物の見方”なるものの存在に気がつかないということである。大きな障害や困難に直面すると、私たちは悪いところにばかり目が行って、忽ち意気消沈して“暗い物の見方”をしてしまいがちだ。
なぜそうなるのだろうか?
私たち人間の頭の中は、未来のことよりも過去の記憶が圧倒的に多くを占めていると言われる。しかも、その過去の記憶も、うまくいったこととうまくいかなかったことのどちらを良く覚えているかと言えば、勿論個人差はあるが、うまく行かなかったことの方をよく覚えているのが通常である。それらは、悔しさ等の強烈な感情を伴い、その感情とともに強く記憶に残るからだ。
その結果、否定的な出来事の記憶が多く蓄積されて行き、また、それを思い出す度にその出来事が実際に起こったのと同じように“主観体験”して、蘇った感情とともに繰り返しインプットされ、その結果、否定的な物の見方が、習慣的になり、潜在意識のレベルでパターン化されていく。
すると、同じような出来事や状況を目の前にすると、無意識かつ自動的にそのパターン化された否定的な物の見方と反応を惹き起こしてしまうのだ。それ故、それとは別の“肯定的、積極的な物の見方”が“削除”され、それが存在するということ、そして、自分はそれを選択することができるということに気づかないのだ。
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