• 宮崎 勇気

3)松下幸之助の“選んだ”物の見方考え方 (1)主体的に生きる


3.人間大事の経営 

3)松下幸之助の“選んだ”物の見方考え方

 事業経営を成功させるための鍵となる概念を集大成したものが松下幸之助の経営哲学であるが、さらに、その前提となっており、かつ、経営哲学の夫々の概念と不可分の関係にある松下幸之助の物の見方や考え方がある。以下に紹介する。 

 これらを理解することによって、松下幸之助の経営哲学をより深く体系的に理解できるとともに、それを実際の経営において使いこなすことができるようになる。また、これらの物の見方と考え方は、事業経営に限らず、人生にも応用することのできるものであり、より豊かな人生を切り開いていく有効な道具ともなるものである。

(1)「主体的に生きる」

 松下幸之助は、自分の運命と生き方について、次のように考えた。

 人間には、抗しがたい運命、いわば“宿命”というものがあり、それが自分の身に起こるということ自体は、人間にはコントロールすることができない。そこで、それについては争ったり、抵抗したりせず、その現実を受け止める。そこで悩んだり、不満をもったりしても、それが自分に起こること自体は変えることはできないのであるから、そこに無駄なエネルギーは使わない。

 しかし、その自らに与えられた“宿命”をどのように捉え、どのような“意味”を与え、将来に向かってどのように自分に活かしていくかということは、自分に委ねられており、自分次第であると考えたのである。

 そして、実際に松下幸之助は、それを実践した。例えば、小学校四年生で中退したため自分には学問がなかったから、事業を起こしてからも、部下が皆偉く思えて、皆の衆知を集めて全員経営を行うことができたことが、事業の成功につながったと述べている。

 また、病弱であったが故に、自分自身ですべての事業を采配することができず、自然と事業毎に部下を信頼して任せるようになり、そこから事業部制が生まれ、結果として、自分一人で事業をするよりも、大きく事業が拡大し、発展していったのだと述べている。

 松下幸之助は、人生は、九割以上が宿命で、自分ではコントロールできないものであり、残りの一割に満たない部分だけが、人間がコントロールできる部分であると考えた。そして、この人間に与えられた10%の枠内においては、「主体的に生きる」こと、即ち、他者の決定に依存したり、あるいは、自分の“心の弱さ”に負けて諦めたりすることなく、自ら主体的に考え、行動していく、そして、その“結果”についてはすべて自分が“責任”を持つことを“選択した”のである。

 松下幸之助の人生や仕事に対する考え方は、その経営哲学を含めて、すべてこの“主体的に生きる”という考え方がその基礎となっている。曰く、「人生においても仕事においても、あくまでも自分自身が主人公であり、受身ではなく、主体的に生きてこそ、感激感動も生まれてくるということである。」

自ら主体的に考え、行動したからこそ、良い“結果”については、感激や感動も生まれるし、逆に、悪い“結果”についての責任は、他の誰でもない自分が持たなければならないと納得でき、そこから本物の“責任感”が生まれてくる。そして、この“責任感”を予め持つということ自体が、その後の考え方と行動を自律的に変えて行くのだ。この“主体性”と“責任感”は、不可分のものである。

 自分の人生は、自分に与えられ、自分ではコントロールすることのできない“宿命”を前提として、そこに何を描くのか、自分で自由に設計することができる。その上でどのような“心の持ち方”をするのか、即ち、何を正しいと考える(どんな信念を持つ)のか、何を重要と考える(どんな価値観を持つ)のか、ということを“選ぶ”ことができる(“選択の自由と能力”がある)。そして、それらを自らの意思で“選択”する。その選んだ信念と価値観が、その人の考え方と行動を決める。そして、結果が生まれる。それ故、人生で自分の身に何が起こったとしても、その出来事の原因は、すべて選択した自分以外にはないのだということを自ら認識し、決意して、予め、その結果についての“責任”を受け入れるということである。

 それは、言い換えれば、自分に起きる出来事は、すべて自分の意識の範囲内のことだと自覚して、自分の人生について“責任”を持つこと、つまり“責任者としての意識”を持つということである。自ら望む結果は、自分で作り出すし、自分に生じた結果については、すべて自分の責任だと受け入れるということ、一言で言えば、“人事を尽くして天命を待つ”ということであり、それが松下幸之助の生き方であった。

 曰く、「自らの意識や行動の如何によっては、与えられた運命の現れ方が異なってくる。“人事を尽くして天命を待つ”という諺があるが、お互いの生き方次第、人事の尽くし方次第で、自分に与えられた運命をより生かし、活用できる余地が残されていて、自分のこれまでの生き方も、知らず識らずのうちに、自分に与えられた運命をある程度生かすものだったのではないかと思う。」(昭和37年)

 そして、ここから後述する「失敗の原因はわれにあり」との考え方も出てくる。つまり、「失敗の原因はわれにあり」との考え方は、この「主体的に生きる」ことが前提となっている。言い換えれば、「主体的に生きる」からこそ、その“結果”については、自分自身に“責任”があると受け入れることができるし、さらに遡って、その“プロセス”においても「失敗の原因はわれにあり」との考えに立って、予めそれらの自分にある失敗の原因をなくしていくという考え方に立ち、それを実行していくことができるのである。(これは、失敗の原因をリスクと捉えると、現代のリスクマネジメントの考え方につながるものと言える。)

 では、逆に“主体性がない”ということは、どういうことか?自分の人生において“自ら考えて行動すること”を放棄して、他人に“依存”し、他人に言われるがままに“受身”で行動するという“他者依存的な生き方”である。

 また、仕事において“主体性がない”とは、言われたことを“義務”として仕方なくやる場合である。この場合、その頭の中は、“~すべき/しなければならない”という思考となり、仕事は“苦痛”以外の何物でもなく、そこに充実感や達成感などの“喜び”が生れることはない。それ故、仕事では、言われたことをこなすこと以外は、自ら考えようとしなくなり、“思考停止”の状態に陥る。かつて“サラリーマン根性”という言葉があったが、それを表現していると言えよう。

 このような考え方の下で、他人から言われたことをやった結果、うまくいかなかった場合には、その結果については、自分には責任はない、むしろ自分に指示を与えた“他人”のせい、あるいは周囲の“環境”のせいだ、と考えることとなる。自分はむしろその“犠牲者”だと位置づけて、自分を守ろうとし、いわゆる“被害者意識”に陥る。経営環境が変化しても、目の前の現実を受け入れられずに抵抗する。そして、悪いのは、“他人”あるいは“環境”なのだから、それらの方が変わるべきで、自分は悪くないし、変わる必要もないと考える。

 このような社員は、ただ、誰かが何かを変えてくれるか、環境が変わるのをただ待つだけである。そのような社員ばかりの組織は、環境の変化に翻弄されて、変化に適応できず、生き残って行くことはできないことは明らかであろう。

 この「主体的に生きる」という考え方は、実は、松下幸之助の経営哲学のすべての概念の基礎となっている。それ故、主体性がなく、他人に依存して、結果に責任を持てない人間は、松下幸之助の経営哲学の実践者たり得ない。「人生も仕事もすべては心の持ち方次第だ」という松下幸之助の経営哲学の根幹となる考え方自体、この「主体的に生きる」との考え方が前提となっている。なぜなら、その時々の状況に最も適切な“心の持ち方”を自ら“選ぶ”ということは、「主体的に生きる」ための“手法”だからである。即ち、目の前の困難な状況に対して受け身で、それに翻弄されるのではなく、それを受け止めた上で、自ら主体的に自分の心を使いこなし、その状況に最も適切な“心の持ち方”を選ぶことによって、状況に適切に適応し、若しくは、その状況を最大限に活かしていこうとするものである。

Copyright © 2016 Yuki Miyazaki All rights reserved.

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