• 宮崎 勇気

(2) とらわれない素直な心 ①


3.人間大事の経営

2)人間の本質を活かす-「すべては心の持ち方次第」「自分の心を使いこなす」

(2)とらわれない素直な心①

 企業の経営者は、船で言えば船長と同じである。経営者は、船長と同様に、経営という名の航海を、どの方向に向かうのか、どのような体制と役割分担で臨むのか、事業経営の業務執行について、基本的に決定し(必要に応じて取締役会の決議を取って)、実行する権限が委ねられている。つまり、経営者は、基本的には、自分の思う通りに業務執行をすることができるのであり、組織と従業員は、皆それについて行くというのが通常の姿である。

 それ故、船員や企業の従業員がどんなにひどい失敗をしても、その船や企業が傾くことはまずないが、船長や経営者が失敗すると、船上の皆がそれについて行く結果、船ならば“難破”、企業ならば“倒産”という最悪の事態につながる。言い換えれば、世の中の経営の致命的な失敗は、そのほとんどが、経営の権限の集中する経営者自身の判断の誤りに起因するものであると言っても過言ではない。

 ではなぜ判断を誤るのか?

 その原因は様々であるが、誤解を恐れずに一言で言えば、重要な経営判断の局面で、経営者の人間としての“心の弱さ”が現れるからだ。

 この点、松下幸之助が見てきた経営の失敗の最も典型的な原因は、経営者自身が、自分の利害や感情などの“私心”にとらわれることにあった。そして、“私心へのとらわれ”が生み出す極端な自己中心主義が核となって、“削除”“歪曲”“一般化”のメカニズムが無意識のレベルで働き、心の弱さを生み出す。即ち、経営者の視野を狭窄なものにし(“削除”)、自分の損得や好き嫌い、苦楽の視点から物事を見て判断してしまうのだ。あるいは、物事を歪めて見させ(“歪曲”)、決めつけさせる(“一般化”)。しかも、本人はそのことに気づかない。

 松下幸之助は次のように言う。「“我執”ということばがありますが、お互い人間は、意識しないまでも、つい自分自身にとらわれるというか、自分で自分がしていることを正しく評価できないことが多いのではないでしょうか・・・人間というものは、どうしても知らず識らずのうちに自分中心に、あるいは自分本位に物事を考えがちになって、他人から見たらずいぶんおかしいことでも、一生懸命に考え、それを正しいと信じている場合が多いからではないでしょうか。」「目先の小さな利害にとらわれて物事を判断し行動しがちで、将来の発展を損なう場合が少なくない」「そのときどきの自分の利益になることのみを追い求め、肯定し、損害になることはすべて忌み嫌い遠ざけ否定する、というような姿であるともいえる」「そういう、自分のことしか考えない姿というものは、往々にして他の人々の利害を無視したり、軽視したりすることにも結びつきかねません。したがって、とかく人びとの反発、非難を受けることにもなるでしょう。そこには争いが生じ、自他ともの損失を生むことにもなりかねないと思います。」(「素直な心になるために」pp.125-126)

 「感情にとらわれ、われを忘れて、思わぬ失敗を招くことにもなりかねない」(「素直な心になるために」p.130)「人間誰しも自分が大事であり、可愛いものである。そのことはごく自然な感情ではあるが、しかしそうした自分の利害とか感情にとらわれてしまうと、判断を誤ることもあるし、また力強い信念も湧いてこない。」(「指導者の条件」p.77)

 それ故、松下幸之助は、特に“私心へとらわれ”について強く戒め、次のように述べている。曰く、「私心にとらわれて商売をしたならば、他に損害を与えても自分だけ儲けたらいいなどといった姿に陥り、世間に大きな迷惑を与えかねません。そしてそれはやがて自分自身の信用を傷つけ、みずから墓穴を掘ることにもなりかねないでしょう。やはり商売というものも、世の多くの人びとを相手に行う公のものであって、私心にとらわれて行ってはならないものだと思います。」(「素直な心になるために」p.31)。

 同じく能力のある経営者でも、成功する者と失敗する者がいるのはなぜか?この点、松下幸之助は次のように述べている。曰く、「成功する経営者と失敗する経営者の間にある大きな違いは、私心にとらわれず、公の心でどの程度ものを見ることができるか、ということにあると思います。私心、つまり私的欲望によって経営を行う経営者は必ず失敗します。私的欲望に打ち勝つ経営者であってこそ、事業に隆々たる繁栄、発展をもたらすことができると思うのです。私の欲望にとらわれず、公の欲望を優先させるということは、言葉をかえれば、素直な心になるということです。」(「松下幸之助一日一話」p.121)

 要するに、“私的欲望に打ち勝ち、公的欲望を優先させることができるかどうか”が経営者として成功するかどうかの分かれ目であり、そのためには“素直な心”が不可欠である、否、“素直な心”になれば必ず「私の欲望よりも公の欲望を優先させる」こととなると言うのである。

 この“私的欲望”から“公的欲望”への転換、換言すれば、“私心”にとらわれた“低次元の自己”から、社会の発展のため、また、“人々の役立つこと”をし、“人々に心から喜んでもらう”ために商売をするのだという公の心を持ったいわば“高次元の自己”への転換を図ることは、松下幸之助の経営哲学の中核を成している。そして、そのための鍵となるのが、“素直な心”であり、それ故にこそ、“素直な心”が、経営者の心構えとして最も大切なものだと強調するのである。

 曰く、「・・・素直な心になれば私心にとらわれることなく、つねに自他とものよりよき姿を実現するためにという基準でものを考え、事を進めていくようになると思うのです。」(「素直な心になるために」p.32)その結果、「なすべきことを正しく知り、それを勇気をもって行う、という姿が生まれるようになる」ということ、これが第一の効用である。(「素直な心になるために」p.74)

 従って、“素直な心”になることから出てくる「なすべきこと」とは、「自他とものよりよき姿を実現すること」であって、既に“公のためになすべきこと”なのである。

 松下幸之助は、名古屋の青年会議所での講演で、次のように述べている。曰く、「欲望には公の欲望と私的欲望とがある。必ず私的欲望がついてまわります。この私的欲望をどの程度に抑えることができるか、公的欲望をどう出すかということの葛藤・・・に打ち勝つことができたならば、すばらしい成果を上げることができると思います。

 松下幸之助は、数多くの取引先の経営者を見てきた経験と自分自身の体験を通して、これらのことを痛感したのである。そこから、松下幸之助は、「経営者が経営を進めていく上での心がまえ」はいろいろあるが、その「いちばん根本になるもの」は、“とらわれない素直な心”であると考えたのだ。

 ここで、「素直な心」とは、「私心なく、くもりのない心、一つのことにとらわれない心」であり、「自分の利害や感情、知識、先入観、固定観念にとらわれず、物事をありのままに見ようとする心」をいう。(「実践経営哲学」pp.160-161)

 それは、「物事の真実と何が正しいかを見きわめて、これに従う心」だとする。何物にもとらわれない素直な心になることで、初めて霧が晴れるように“何が正しいか”、“何を為すべきか”ということが見えてくる、そして、それを見極めたら、迷わずそれに従うということだとする。そのような姿は、「人間の小さな知恵や才覚」からではなく、「素直な心から生まれてくる知恵、才覚が働くところからもたらされるものではないかと思うのです。」(「素直な心になるために」p.77)と言う。

 このような観点から、素直な心は、人間個人の人知を超えた“自然の理法”の一部だとする。

Copyright © 2016 Yuki Miyazaki All rights reserved.

#とらわれない素直な心

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