• 宮崎 勇気

(4)人間の現実の姿-“心の弱さ”③


3.人間大事の経営

1)松下幸之助の人間観  

(4)人間の現実の姿-“心の弱さ”③

 第二に、“歪曲”のメカニズムである。

 私たち人間は、五感を通じて入力される知覚情報を自分の“価値観”や“信念”、即ち“心の持ち方”にとって都合がいいように“歪めて”認識し、また、“歪めて”評価・解釈し、判断しているのである。

 このメカニズムにより、私たちは、“現実”を“歪め”て、あるいは、“越えて”芸術や音楽、文学の作品など様々なものを創造することができるし、また、それらを楽しむこともできるという利点がある。また、夢を見たり、空想に耽り、未来のための計画を立てることができる。しかし、その反面“弊害”がある。目の前の現象をありのまま客観的に見ることができず、自分が“過去の経験”や“信念”から創り上げた“知覚や思考のパターン”に当てはめて、自分の都合のいいように“歪めて”物を見て、“歪めて”物を評価・解釈し、判断してしまう点である。つまり、“自分の見たいように歪曲して”物を見て、“自分の望むように歪曲して”評価・解釈するのだ。

 特に、私たちが何かに“とらわれ”ているとき、この“歪曲”のメカニズムの弊害は、最大限となる。意識がその“とらわれ”ていることに“固定”され、他の見方や考え方が“削除”されてしまうからである。つまり、“現実の世界”を自分が“とらわれて正しいと思っていること”に都合のいいように歪めて知覚し、評価し、解釈し、判断するため、物事の実相を客観的に見ることができず、また、その“とらわれ”に引き摺られて判断してしまうのである。

 例えば、“痘痕(あばた)もえくぼ”という言葉がある。自分が惚れてしまった相手であれば、“あばた”でさえ、ひいき目で見てしまう結果、可愛らしい“えくぼ”に見えるという喩えである。

 また、例えば、経営者が自身の戦略に“とらわれ”ると、それを否定する意見や否定につながるような情報が報告されても、それらを軽視しがちである。これも、“歪曲”のメカニズムの仕業である。そして、この点にこそ「経営者が私心にとらわれること」により“歪曲”のメカニズムが引き起こす最大の問題がある。このため、“現実”を客観的に見ることができず、現実の評価・解釈を誤り、結果的にどのように対応すべきかの経営判断をも誤ってしまうからだ。それが“弱さ”となる。プラズマテレビに拘り続けていた頃のパナソニックでは、それが起こっていたのではないだろうか。そして、それ故にこそ、松下幸之助の言う“心の持ち方”が重要なのである。

 私たちは、“目の前で起こる現象自体に独自の意味がある”と思いがちであるが、実は、その現象自体に元々“固有の意味”があるわけではない。この点、シェークスピアは「良い出来事も悪い出来事も存在しない。どのように考えたかがそれらを作り出すのだ。」と述べている。私たちは、いわば自分独自の“フィルター”を通して、目の前の現象を見ている。そのフィルターは、その人の“心の持ち方”つまり、その“価値観”や“信念”に応じて様々な“色”が付いたり、“歪み”が入っており、それらの“色”や“歪み”が目の前の現象に“意味”を与えるのである。つまり、シェイクスピアの言う「自分がどのように考えたか」が、目の前の現象に良いか悪いか等の意味を与えるのだ。換言すれば、私たち人間は、目の前の現象を“自分の見たいように(歪曲して)見ている”のである。

 例えば、人間関係がうまくいかないときというのは、相手が自分に気づかず、挨拶をしなかったということを“あの人はああいう人だから、私を無視したのだ”などと事実を歪めて自分の“とらわれ”や“信じていること”にとって都合のいい意味を与え、それが関係を悪化させる原因となっている場合が多い。

 また、例えば、事業において特定のビジネスモデルによって成功した企業は、そのモデルにとらわれて、それが実際には経営環境の変化によってもはや通用しなくなっていても、その環境の変化の意味を軽視しがちである。規格大量生産という20世紀型のビジネスモデルに囚われたパナソニックは、顧客のニーズの多様化という環境の変化に気づくのが遅れたのは、その例であろう。その結果、そのビジネスモデルは変化した環境の下でもまだかつて成功したビジネスモデルが使えると勘違いしてしまうのだ。これも“歪曲”によるものである。

 第三に、人は、自分の過去の“限られた経験”に基づいて物事を一般的に決めつけるという“一般化”のメカニズムである。

 人間の脳は、五感を通じて知覚した外部の情報を常に過去の記憶の蓄積と照合し評価して、自分の行動や態度を決定する。その際に、過去の経験に基づいて一般化したパターンと照合し、それを当てはめて評価・解釈し、判断する。

 このメカニズムによって、人間は、新しい行動を学習する際に、ゼロから学ぶ必要がなく、多大な時間とエネルギーを使わずに済み、早いスピードで学習することが可能となる。また、思考をする際にも、この一般化の過程が活用され、過去の経験から一般化した思考パターンを当てはめて効率的に物事を判断することができる。

 このような利点がある反面、弊害も生じる。一旦「これはこういうものだ」と一般化されると、たとえ目の前に“新しいもの”が現れても、その一般化されたことに注意が固定されて、それ以外の情報が“削除”され、それを“新しいもの”と認識することができない。また、過去に一般化したパターンに無理に当てはめて、“歪め”て評価・解釈し、「これはこうだ」とさらに“決めつけ”(“一般化”)てしまう。それが、今までのパターンに当てはまらない“新しいもの”、つまり、“例外”であるという事実を認識することができないのだ。

 東洋の教えに「知は盲覚なり」という言葉がある。知識が増えれば増えるほど、知識に縛られて動きが取れなくなるものであり、「○○はすべきだ、○○はすべきでない」と決めつけてしまう。しかし、それは、本当はあくまでもその時点における自分が知っている限られた範囲の“知識”に基づく結論に過ぎないのであって、自分が知らないだけで、“自分以外の他者”の持つ知識からは異なる結論が導かれるかもしれないし、あるいは“将来”異なる知識が見出されるかもしれない。とすれば、それは必ずしも正しいとは限らないし、むしろ、そうでない場合も多いのである。

 松下幸之助は、できるか、できないかの判断についての、少ない経験や狭い視野からの過度の“一般化”の危険性について、次のように述べている。「成るものは成るし、成らぬものは成らぬ。わかりきったことのようだが、これがなかなかわからない。」「私たちはついつい成らぬものを成るものと思い込み、無理を重ねて挫折したり、あるいは、成るものを成らぬものとあきらめて成すための努力や精進を怠ったり絶望してしまったりしていることが往々にしてあるのではないかと思うのです。

 「成らぬものを成るものと思い込(む)」例は、ある事業に相当のコストをかけたがうまく行かない場合に、それまでにかけたコストを取り戻そうとさらにコストをかけて、逆に傷を深くしてしまう場合である。いわゆる“埋没コスト”と言われる問題である。

 また、「成るものを成らぬものとあきらめ」て、物事を“できない”と決めつけてしまうこと(“一般化”)の問題点について、松下幸之助は次のように述べている。曰く、「物事というものは、できることでもそれを「できない」と思っている限り、やはり実際にできないのではあるまいか。・・・少々のことでできないと考えることは、むしろ人間のすぐれた可能性を押しつぶしてしまうことにもなるのではなかろうか。」“一般化”すること、特に否定的な方向で一般化することの問題点は、まさにこの可能性を自ら潰してしまうという点にある。

 また、固定観念にとらわれた場合の“一般化”の危険について、次のように述べている。曰く、「我々は、仕事を進めていく際に、ともすれば自分で自分の枠を決めてしまい、その枠から出られないということはないだろうか。・・・不思議なことに人間は、自ら枠をつくり、その中に入ってしまう悪い傾向がある。・・・窮屈な枠の中で窮屈なものの考え方をしていては、心の働きも鈍くなって、自由自在なよい知恵が出てこない。」(1959年「新政経」6月号より)一旦“一般化”して、それが“固定観念”となってしまうと、その外に出て思考することができなくなる結果、可能性の枠を自ら狭めてしまうのである。

 いわゆる専門家と言われる人たちの陥り易いところである。専門外の素人の方が意外に良いアイデアが出てくることがあるのは、専門家のように専門知識にとらわれて決めつけ(“一般化”)るということなく、自由に発想することができるからである。

 それでは、そのような“削除”“歪曲”“一般化”という人間の知覚と解釈・判断のプロセスにおいて働くメカニズムは、どのようにして人間の“心の弱さ”を生み出すのであろうか?

 実は、これらのメカニズム自体に問題があるわけではない。これらは、“中立的”に機能するものである。これらのメカニズムが働くときには、その“核となるもの”があり、それを中心として“削除”“歪曲”“一般化”のメカニズムが働くのである。その“核となるもの”こそ、“心の持ち方”である。従って、“心の持ち方”如何によりその“核となるもの”が決まり、それを軸として“削除”“歪曲”“一般化”のメカニズムが働くことによって、時に“弱さ”が引き起こされるのである。

 松下幸之助は、そのような人間の“心の弱さ”の“源”が、人間が誰しも持つ“自分が一番可愛い”と思う“自己中心的な”考えとそれが極端に行き過ぎることから生じる自分の利害や感情などの“私心へのとらわれ”にあると喝破した。

 人は、“私心”に“とらわれ”ると、“一番可愛い自分”を常に中心に置き、“固定”される。そして、“一番可愛い自分”を軸として物を見て、評価、解釈し、判断、決定する。その結果、自分に得になるものや自分の好きなもの、自分にとって楽しいものしか見えなくなり(それ以外を“削除”する)、自分の得になるよう、また、好きなように、あるいは、自分にとって楽しくなるようにとの視点から自分の都合のいいように“歪めて”見て(“歪曲”)、決めつける(“一般化”)。また、自分の得になるように、好きなように、あるいは、自分が楽しくなるようにしか物事を考えなくなる。

 即ち、自分にとって損か得か、あるいは、自分が好きか嫌いか、若しくは、楽しいか苦痛かという視点からのみ、物事を見て、判断するようになる結果、物の見方や考え方が“自己中心的に”偏り、歪んで固定してしまう。物事をありのまま見ることができず、結局、物事の判断を誤り、また、自己中心的な行動をとってしまい、適切な行動を採ることができなくなる。

 このようにして、“私心へのとらわれ”は、“自己中心的な心の持ち方”を“核”として、知覚及び解釈・判断の双方のプロセスで、“削除”“歪曲”“一般化”のメカニズムが働き、“人間の弱さ”を生み出すのである。しかも、これらのプロセスは無意識のレベルで起こっているため、本人に自覚症状はない。従って、例えば、本人に対して、視野が狭いとか、解釈が歪んでいる、あるいは、決めつけているなどと指摘しても、それを否定するか、若しくは怒り出すこともある。

 また、松下幸之助は、“私心にとらわれ”て “自分のためだけにやる”というのでは、どこかに“弱さ”が残り、本当の力強さは出てこないとも言う。これも“私心にとらわれ”たときの人間の弱さと言えよう。逆に言えば、人は、“人の為に”何かをしようとするときの方が本当の力強さが出てくるものだと言うのである。

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#人間の現実の姿心の弱さ

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