• 宮崎 勇気

(4)人間の現実の姿-“心の弱さ”②


3.人間大事の経営

1)松下幸之助の人間観

(4)人間の現実の姿-“心の弱さ”②

 また、人間の物の見方と考え方について、松下幸之助は、“人間の弱さ”を生み出す3つの重要な特徴を指摘している。

 第一に、私たちは、現実世界のごく一部しか見えていないということである。

 曰く、「この世の中、本当は、わかっているよりも、わからないことの方が多く、知っているよりも、知らないことの方がはるかに多いのである。」(「続・道をひらく」p.180)

 「自分で物を考え、物を決めるということは、全体から見るとごく少ない。自分一人ではどうしても視野がせまくなる。自分がわかっているのは世の中の一パーセントだけで、あとの九九パーセントはわからないと思えばいい。あとは暗中模索である。」そのような狭い視野から出てくる知恵にも限界があると言う。曰く、「どんな賢人でも、その人ひとりの知恵には限りがあって、だから自分の知恵、才覚だけで事を運べば、考えがかたくなになる。視野が狭くなる。

 そして、「昨今とかく、自分を正しとするあまり、他を排するに急な傾向が見受けられるようだが、これはまさに馬の目隠しである。これでは事が小さくなる。」と述べている。馬の視野角は広く、約350度とも言われている。そこで、周りの余計なものを見ず、前だけを見るようにするのが、“馬の目隠し”である。

 「私たちはとかく、ものの一面にとらわれて自己の考えのみを主張していると、その背後に流れる大きな力を見忘れてしまうものです。そこから大きな失敗が表れてきます。」(「松下幸之助一日一話」p.169)

 第二に、人間は、何かにとらわれることが多く、この場合、その“とらわれていること”を常に“正しいもの”と信じ込み、それを軸として目の前の物事を“歪めて”評価し、解釈し、判断していると言うのである。

 曰く、「人間は、心にとらわれがあると、物事をありのままに見ることができない。たとえて言えば、色がついたり、ゆがんだレンズを通して、何かを見るようなものである。かりに、赤い色のレンズで見れば、白い紙でも目には赤くうつる。ゆがんだレンズを通せば、まっすぐな棒でも曲がって見えるだろう。そういうことでは、物事の実相、真実の姿を正しくとらえることができない。だから、とらわれた心で物事に当たったのでは判断をまちがえて、行動をあやまつことになりやすい。」(「実践経営哲学」p.161)

 「自分なりの知識、学問・・・自分の欲望や利害得失・・・一つの主義、思想というようなさまざまな色ガラスやゆがんだガラスをとおして物事を見、考えている場合が非常に多いのではないかと思います。しかし、そういった自分なりの意見とか感情にとらわれてしまっては、本当の色、ありのままの形というものはやはり見えないと思います。」(「素直な心になるために」p.44)

 そして、第三に、私たち人間は、数少ない経験だけで物事がすべてそうだと決めつけてしまいがちであると言う。

 例えば、“常識”や“知識”にとらわれた場合について、次のように述べている。曰く、「われわれを取り巻いている常識、知識というものは、想像以上に根強いものである。“ああ、それは今まで何度もやってみたんだが、それはダメなんだ。”と決め込んでいるものが、・・・意外に多いと思うのである。」(「松風」(社内誌) 1963年(昭和38)6月号より )

 松下幸之助のこれらの指摘は、人の“知覚”及び“判断”のプロセスにおいて無意識のレベルで“削除”“歪曲”“一般化”のメカニズムが働いているという現代の神経科学の知見と見事に合致している。

 松下幸之助の指摘するこれらの点を現代の神経科学の観点から説明すれば、次の通りとなる。私たちは、“現実の世界”を自分の目で“直接”見ていると思っているが、実は、“現実の世界”を直接把握しているわけではないし、その認識する方法も持たない。私たちは、視覚や聴覚、触覚、嗅覚、味覚という五感の知覚機能により、そこから入ってくる情報を電気信号に変えて、脳に伝え、脳の中でそれらを再現することによって、あくまで“間接的に”認識しているに過ぎない。

 それ故、五感という知覚器官自体が持つ、数と質という“物理的制約”があることに加えて、人間の脳は、効率的に情報処理をするためあるいは情報の欠けた部分を補完するために、膨大な“現実の情報”の代わりに、“過去の類似のパターンについての記憶”を利用することがあり、そこに“現実”との不一致が生まれる可能性がある。

 さらに、神経科学によれば、人間は、環境や技術、社会組織など世界のあらゆるものについて、一人ひとりが、その五感を通じた知覚に基づき、その心の内面に独自の“世界モデル”(Mental Model)を構築し、また、その世界モデルを利用して、現実の世界の情報を評価し、解釈し、判断している。即ち、私たちが知覚するのは、“現実”そのものではなく、むしろ、心の内面に自ら創り上げた“世界モデル”という“現実”の神経学的なモデルであり、また、それを当てはめたものである。つまり、私たちは、この“世界モデル”を利用し、それらに基づいて、それらを当てはめて、物を見て、物を考え、感情を持ち、行動しているのである。

 そして、そのような世界モデルを構築する段階(知覚の仕方)とその世界モデルを使用する段階(知覚したものの解釈・判断や行動の決定)の二つの段階において“削除”、“歪曲”と“一般化”という3つの共通のメカニズム(“人間の普遍的モデリング過程”と呼ばれる)が無意識のレベルで働いているとされる。

 つまり、私たちは、知覚器官の物理的制約から“現実世界”の一部しか認識することができず、しかも、私たちが認識する世界の一部は、“過去の記憶パターン”によって補われた“仮想のもの”であり、さらに知覚のプロセスにおいて、自ら“削除”“歪曲”“一般化”のメカニズムを通して独自に創り上げた十人十色の、“現実世界”とは似て非なる、“世界モデル”といういわば“仮想世界”の中に生きているということを意味する。しかも、そのようなメカニズムとプロセスは無意識のレベルで生じるものであるため、本人には直接わからないのである。それ故、それを人から指摘されても、否定することすらある。

 松下幸之助は、その卓越した人間観察からこれらの3つの人間の特徴を実に的確に指摘しており、その洞察力には驚嘆するばかりである。そして、このことは、松下幸之助の経営哲学において、重要な基本的前提となっている。それ故、本書では、様々な局面で、また、具体的な例の中で、これら3つのメカニズムが生み出す“人間の弱さ”について繰り返し指摘することとなる。以下夫々具体的に見ていく。

 第一に、“削除”のメカニズムである。

 私たち人間の神経系は、五感を通して入力される毎秒200万個以上と言われる膨大な情報を効率的に処理するため、「振るい分けメカニズム」として機能しており、膨大な入力情報の一部だけを“選択”して認識しており、それ以外は“削除”されて認識されなくなる(“心理的盲点”)のである。いわば“望遠鏡”を通して現実世界を見ているようなものである。

 この削除のメカニズムは、かつては自然界の中で“生存していく”ために重要な情報を瞬時に識別するという機能を有したとされる。もしすべての情報を処理しなければならないとすれば、天文学的な時間とエネルギーを必要とし、また、生命の危険から逃れる機を逸するからだ。その選択を行うのは、脳のフィルター機能である賦活網様体(RAS:Reticular Activating System)と呼ばれる神経系である。このRASの振るい分けの機能により、意識が重要な情報にフォーカスされる(“焦点化”と言われる)結果として、それらの重要な情報をあたかも地引網を引き揚げるように集約して認識する一方で、それ以外の情報が認識から“削除”されてしまうのである。

 現代社会においては、かつての自然界での“生存に必要な情報”に代わり、“その時の自分にとって重要な情報”が選択されるようになってきた。そして、“何が自分にとって重要か”ということを決めるのは、自分自身の“価値観”(自分が重要だと考えていること)や“信念”(自分が真実だと考えていること)である。松下幸之助の言葉で言えば、“心の持ち方”だということになる。

 つまり、自分の“心の持ち方”が、現実世界を覗く“望遠鏡”の“焦点”を決め、自分に何が認識できるか、また、その反面として何が認識できなくなるのかということを決めているということとなる。

 この点、松下幸之助は、人間は現実世界のごく“一部”しか見えておらず、それは、いわば“闇夜の提灯”のような頼りないものであり、後は「暗中模索」なのだと言ったのである。

 そして、特にこの点にこそ、松下幸之助が「人生でも仕事でもすべては心の持ち方次第だ」と強調した“心の持ち方”の重要性の根拠の一つがあるのである。

 私たちには、目が見えるが故に「自分には世界がすべて見えている」という、大きな誤解あるいは錯覚がある。しかし、実際には、その時の自分が重要と考えている関心事項しか認識しておらず、その反面、それ以外の情報は、認識から“削除”され、視界に入っていても“心理的盲点”となって認識されなくなるのである。

 こうして私たちは、自分の“心の持ち方”に応じて、何が見え、何が見えなくなるかが全く違ってくる。つまり、私たちは、実際には“自分の見たいものを見ている”ということになる。それ故にこそ、どこに自分の意識の焦点を当てるのかを決める“心の持ち方”が極めて重要となるのである。

 以上は視覚を例に挙げて説明したが、聴覚や触覚、嗅覚、味覚もすべて同様である。聞きたいものを聞き、触れたいものに触れ、好きな臭いを嗅ぎ、好きな味を味わっているのが、人間である。

 さらに、この“削除”のメカニズムは、外部の世界を認知する“知覚のプロセス”だけでなく、“物事を評価したり、解釈・判断したりするプロセス”においても働く。つまり、私たちは、“自分の考えたいことを考えている”のであり、それ以外を削除している。それ故、“心の持ち方”が私たちの“物の考え方”を規定しているという点からも、“心の持ち方”が重要であると言えよう。

 特に私たちが何かに“とらわれ”ている場合には、この“削除”のメカニズムが最大限に機能し、私たちの意識は、その“とらわれ”ていることにフォーカスされ、“固定”され、それ以外の情報が“削除”されてしまう。これが、松下幸之助の言う「何かにとらわれ」た姿である。例えば、経営者が、自分の立てた“戦略”に“とらわれ”ると、それを否定する情報や意見は“削除”されて、“心理的盲点”となり認識できなくなってしまうため、そのような報告や助言があっても耳に入らなくなる。この点にこそ「経営者が私心にとらわれること」により“削除”のメカニズムが引き起こす最大の問題があると言ってよい。

 この点、松下幸之助は、次のように指摘する。曰く、「素直な心がない場合には、往々にして一つのことにとらわれてしまったり、自分の考えとか感情にとらわれてしまいます。だから、ついつい物事の一面だけしか目に入らず、他の面まで見る心の余裕もなければ、また視野というもの自体がひらけなくなる場合が多いと思われます。したがって、素直な心がない場合には、物事のさまざまな面を見、考えることができず、単に一面のみを見てそれにとらわれるといった姿に陥ることにもなりかねません。」(「素直な心になるために」pp.136-137)

 「自分の考えにとらわれ、視野も狭くなって、往々にして独善の姿に陥りかねない」(「素直な心になるために」p.150)「自分の知っている範囲だけで物事を判断しようとすることが間違いなのである。・・・その他にもいろいろな面、いろいろな見方がある。」(「続道をひらく」pp.180-181「物の見方考え方」p.120)

 インドには“群盲象を撫でる”という諺がある。何人かの盲人が夫々象を触って、ある者はお腹を触って“象とは壁のようなものだ”と言い、別の者は、尻尾を触って“象とはロープのようなものだ”と言った。盲人の誰もが触覚を通して象の一部しか認識しておらず、誰一人象の全体を正しく認識できていない。これは、“盲人”についての話であるが、実は、目が見えていても全く同じことが起こっているのである。

 また、“恋は盲目”という言葉がある。恋をすると、相手の“良いところ”ばかりが目に映り、“悪いところ”は見えなくなるということだ。良いところに焦点が当たる結果、悪いところは、認識から削除されるからである。しかし、重要なことは、このような情報の削除は、恋をした場合に限らず、私たち自身に日常的に起こっているということである。

 さらに、近時問題となっている“オレオレ詐欺”は、まさにこの“焦点化”と“削除”という脳の特徴を悪用したものである。例えば、自分の息子が事故に遭って怪我をしたと聞かされれば、その瞬間に怪我をした息子に意識がフォーカスされてしまい、相手は本人なのか、本人は本当にその病院に入院しているのか、振り込めと言われる銀行口座は正しいものなのかなど、それ以外のことは“削除”されてしまって、気づかない。後から冷静に考えれば、どうしてあんな単純な詐欺に引っ掛かったのかと自分でも不思議に思うことが多い。

 このように、私たちの“心の持ち方”つまり、“価値観”や“信念”が、目の前の現実世界のどこに“望遠鏡”の“焦点”を当てるか、即ち、自分の意識を何にフォーカスするかという“物の見方”だけでなく、“物の考え方”をも決めており、その反面それ以外を“削除”してしまうのである。ここから様々な間違いも生じてくる。この点は、いくら強調しても強調し過ぎるということはない。

 特に、私たちが“私心にとらわれる”と、脳のRASは、自分自身に関することにフォーカスし、自分にとって損か得か、自分が好きか嫌いか、自分にとって楽か苦かということに関する情報に焦点を当て、その状態が固定されてしまう。その結果、それ以外の様々な情報は“削除”されてしまう。つまり、後述するように事業経営を行う上で重要な視点や情報が削除されて、事業として“為すべきこと”が見えなくなり、全く頓珍漢なことをやり始めたり、経営環境の重要な変化や事業の重要なヒントを見過ごしたり、チャンスを逸して、活動の方向がどんどん外れて行くのだ。

 もちろん、誰しも“私心”を有しており、“私心”を完全に消し去ることは、禅の修行僧でもない限り難しいであろう。それでも、自分を横に置いて、様々な別の角度から物事を見ることができれば問題はない。しかし、“私心”にとらわれてしまうと、焦点がそこに“固定”されてしまい、それ以外の物の見方ができなくなってしまうのである。

 それ故、経営者にとって、最も避けなければならないことは、この“私心にとらわれること”であり、松下幸之助が見てきた数多くの経営に失敗した経営者の典型的なパターンがこれであった。この意味で、経営者の“最大の敵”は、“自分自身”であると言っても過言ではない。

Copyright © 2016 Yuki Miyazaki All rights reserved.



#人間の現実の姿心の弱さ

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