• 宮崎 勇気

(1)人間観を持つことの大切さ


2.人間大事の経営

1)松下幸之助の人間観

(1)人間観を持つことの大切さ

 松下幸之助は、「物事を考える場合に、人間というものを基本というか中心に考えることが大切だと思う。」(「思うまま」p.40)と述べ、政治や学問、経済、教育、宗教、法律など「本来一切のものが人間のために存在するのだということを忘れてはいけない。これまでの歴史においては、ともすれば、それが逆になり、そのために人間がみずから不幸に陥るという姿がしばしば生まれたのではないだろうか。」(「思うまま」p.40)

 このような考え方からすれば、“経営”というものも、“人間のためにある”ということになる。実際、松下幸之助は、“経営”というものを広く捉え、「単なる金儲けとか、合理的な経営をするとか、そんな観点だけから経営を見てはいけない。人生とは何なのか、人間とは何なのかというところから出発しなければならない。」と述べている。このように、人間とはどういうものか、その本質は何かという“人間観”というものをその中核に据えているところが、松下幸之助の経営哲学の際立った特徴である。曰く、「経営は人間が行うものである。~経営は人間が相寄って人間のために行う活動である。したがって、その経営を適切に行っていくためには、人間とはどういうものか、どういう意味をもっているかを正しく把握しなければならない。いいかえれば、人間観というものをもたなくてはならないということである。だから、正しい経営理念というものは、そういう人間観に立脚したものでなくてはならない。」(「実践経営哲学」pp.30-31)

 ここでいう「人間」とは、少なくとも事業活動を行う経営者と従業員、また、製品を買う顧客であり、会社に出資する株主や部材の仕入先や製品の販売先の人々を意味するものと考えられる。また、経営者と従業員との関係について、松下幸之助は、より現実的に、そして、もっと直截に「羊の本質をはっきりつかんだ人でないと、羊飼いになっても成功しない」(「松翁論語抄」松下幸之助述、江口克彦記)とも述べている。そして、人間は、お互いに持ちつ持たれつの関係にあり、お互いに“飼い合い”をしているようなものだと言う。従って、経営においても、経営者が“人間の本質”を知らなければ、人間である従業員を活かし、仕入先や取引先を活かして、うまく経営を進めていくことはできないというのである。

 この点、私たちは、通常事業経営を進めて行くに際して、“人間の本質”というようなことを問題にすることはまずないと言ってよいであろう。むしろ、経営者は正しい経営判断をし、社員はそれに従って行動するものであることを当然の前提としているのではないだろうか。

 しかし、例えば、企業の社長も、人間である以上、経営判断を誤ることもあるし、また、経営者の判断が正しくとも、それを聞いた社員たちが、その通りに動くとは限らない。彼らも、生身の人間であるから、様々な理由から、経営者の指示に従わなかったり、従ったとしても、全力を出し切らない、やったふりをしてごまかす者もいるかもしれない。あるいは、派閥を作って内部での争いが起こるかもしれない。仕入先や取引先も同様である。人間というものは、そう単純ではない。松下幸之助は、このような人間を「複雑怪奇なもの」と表現している。

 では、経営者はどのような時に判断を誤るのだろうか。また、社員たちは、経営者の方針をどのように聞いてどのように反応するのか、そこに“人間”というものが大きく関わってくるのである。

 経営者の判断が如何に素晴らしくとも、社員がついてこなければ、経営者一人だけでは実際何もできない。如何にして社員たちに自分の方針通りに動いてもらうようにするかということが、経営の一部でなければならない。この点松下幸之助は、次のように述べている。「やはり人を使う立場の人、責任者の立場にある人は、人間とはどういうものかということをある程度的確につかんでいなくてはならないと思う。いいかえれば、人間の本質を知るというか、人間観を持つということである。そういうものを持たずして人を使うのは、極端にいえば牛と馬の違いを知らずにこれを飼うようなものではないだろうか。それでは人を生かすどころか、殺してしまうことにもなりかねない。」(「人間万華鏡」p.159)

 そのような複雑な人間の本質を正しく理解し、活かし切るということがここでのテーマである。そして、その点に応えようとするのが、松下幸之助の“人間観”とそれに基づく“人間大事の経営”であり、これが松下幸之助の経営哲学の骨格を成す重要な部分である。また、その点にこそ、他の経営論とは一線を画する独自性と卓越性があると言える。実際、松下幸之助ほど経営において人間とその本質を掘り下げ、それを活かし切ることに意を用い、また、それを実践した経営者は他にはいないであろう。先に述べたように、松下幸之助が“経営の神様”と呼ばれる所以は、ひとつにはここにあると私は考える。

 松下幸之助自身、昭和47年に「人間を考える」という著作を著した際に、「今まで色々な本を書いたけど、これが自分の言いたかったことや。これが書けた以上もう死んでもええわ。」と述べたという(江口克彦氏談)から、その経営哲学において人間観の占める重要性が伺える。

 これに対して、多くの経営論が、実際の経営に適用されながらも、思うようには成果が挙がらないのは、この点が欠落しているか、ほとんど考えられていないからだと言えるのではなかろうか?どのように優れた経営論も、それでは“画龍点睛を欠く”と言わざるを得ない。あるいは、“経営”においても、経済学と同様に「合理的に考えて行動する人間」を想定しているからかもしれない。実際にはそのような人間はほとんど存在しない。この点、松下幸之助は言う。「ともするとわれわれは、人間を理想化して神のように考えたり、反対に動物のように見て事を処理しやすい。けれども、人間は神でもなければ動物でもない、あくまで人間なのである。したがってわれわれは、この人間の本質というものを素直に見て、それに立脚しつつ、政治、経済、教育など一切の社会活動を行ってゆくことが大切であろう。」(「思うまま」p.34)「そうした人間に対する正しい認識を欠いたならば、如何にいろいろ方策を講じ、努力を重ねても、それは往々にして実り少ないものになってしまい、時にはかえって人間自身を苦しめることにもなりかねない。そういう意味において、指導者はまずそのような正しい人間観を求め、自らそれを持つことが大事だと思う。」(「指導者の条件」p.167)

 さらに言う。「経営者にとっていちばん大事なのは、この人間観やな。人間をどうみるか、どうとらえるか。そこをきちっと押さえたうえで経営を進めんと、大きな成功は得られないと思う。すべての経営理念の出発点はここからやで。~まあ、この人間観は経営における第一ボタンやな、早い話が。な、最初かけ違えると、きちんと服が着れんのと同じやがな。」(「成功の法則」江口克彦著p.124)人間観というものが、経営の出発点であり、“第一ボタン”のようなものだと言うのである。ここを間違うと、その後がすべて狂ってくるからだ。

 経済学の分野において、それまでの“合理的存在”としての人間観の誤りを指摘したのが、2002年にノーベル経済学賞を受賞した心理学者プリンストン大学のダニエル・カーネマン名誉教授である。同教授は、それまでの経済学は、経済主体である人間が完全な認知・推論能力を備えているという“心理学的誤り”を前提としていたことを指摘し、人間は、むしろ“限定合理的な存在”であり、限られた認知・推論能力に基づいて意思決定を行うものであることを主張し、経済学の中に“行動経済学”という新たな分野を確立した。(「ダニエル・カールマン 心理と経済を語る」ダニエル・カールマン著)

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