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松下幸之助の経営哲学-その真髄の理解と実践のために-

世の中に優れた経営者と言われる人は多くいますが、”経営の神様”と言われたのは、松下幸之助だけです。なぜでしょうか?それは、卓越した観察力で様々な人々を観察する中で、人間の”無限の可能性”と現実の姿としての”心の弱さ”という相矛盾する本質を発見し、そして、それらの双方の本質を共に活かそうとして、”自分の心を使いこなす”こと、また、それを応用して他人を使うことを極めたからだと言えるのではないでしょうか。つまり、松下幸之助の経営哲学は、”人間学の集大成”とも言えるものです。

本サイトでは、これまで必ずしも十分に解明されなかった松下幸之助の経営哲学の機能とメカニズムを現代の神経科学や脳科学、心理学、神経言語プログラミングなどの知見にもとづいて解明し、その全体像を明らかにして体系化したものです。これまで松下幸之助の経営哲学は知識として頭で理解することはできても、本当の意味で実践することは必ずしも容易ではありませんでした。しかし、本サイトが解明したその経営哲学を”血肉”となるほど自分自身の”信念”とすることができれば、その経営に、また、人生に自然と実践することができるようになるでしょう。そうすれば、結果は自ずとついてくるものだと言えましょう。                                    

 

                           2016年5月1日 著者 宮﨑 勇気                 

5)組織の力を最大限に発揮させる(2)「信条」と“和親一致の精神”

May 26, 2017

5)組織の力を最大限に発揮させる

 

(2)「信条」と“和親一致の精神”

    
 「信条」は、次のように定めている。

 「向上発展は、各員の和親協力を得るに非ざれば得難し
            各員至誠を旨とし一致団結社務に服すること」

 

 この「信条」は、組織の中で社員たちが毎日の仕事を遂行する上での基本となる心構えを示したもので、「綱領」に示された高い目標(「産業人たるの本分に徹し、社会生活の改善と向上を図り、世界文化の進展に寄与せんことを期す」)に向かって、全員が“和親協力”の下“一致団結”して力強く進むべき心構えが強調されている。別に定められている七精神の中の一つである“和親一致の精神”は、同じ意味である。

 

 私たち人間が、なぜ“組織”というものを作るのか、と言えば、それは、人間が集まり組織を形成することによって、単なる“個々の人間の力の集合”を超える大きな力を発揮することができるからだ。組織が、単に個々の人間の力の合計に等しいものであれば、“組織”を作る意味はない。

 

 一方、ただ単に“組織”を作りさえすれば、それでよいかと言えば、そうでもない。“組織”が、個々の人間の力の集合を超える力を発揮するためには、一定の“条件”が必要だ。その条件とは、第一に目的を真に共有すること、そして、第二にその目的の実現に向かって組織のメンバー全員が一致協力することだ。「綱領」が前者を意図したものであり、この「信条」が後者を意図したものと言ってよい。この「信条」は、今の言葉で言えば、“協力関係”あるいは“チームワーク”ということになる。

 

 松下幸之助は次のように述べている。「個々に如何なる優秀の人材を聚むるも、此の精神(著者注:和親一致の精神)に欠くるあらば 所詮烏合の衆にして何等の力なし」(「信条」から)「いくら人が集まっても、それがみなバラバラであるならば何の力にもなりません。もちろん、各自の創意なり個々の意見を殺してはなりません。しかし基本的には一つの目標に向かって、全員が協力一致していくという精神を、すべての人に徹底して培養しなければならないのであります。そうであって初めて、二つの力が三にも四にも働くようになってくるのであります。」(昭和31年経営方針より)

 

 また、次のようにも述べている。「和を第一とする。和なくしては強い力は生まれない。その強い力がなかったら、やっていることが全部無駄になってしまう。無にならんように、和をもって協力するということが何より大事やから、そいつをしっかりとひとつ頭に入れておいてくれや。頭に入れるより、胸に入れてくれや。心に入れておいてくれや。それが大切や。」(1980年10月24日)

 

 “組織”において、このチームワークが如何に重要なものであるかということは、野球やサッカーなどのスポーツを見れば、よくわかる。優勝するチームは、強固なチームワークを築き上げることに成功し、まさに単なる個々人の力の集合を超える大きな力を発揮して、優勝という結果を勝ち取っていると言っても過言ではない。昨年は最下位だったチームが、ほとんどメンバーは変わらないのに、監督が変わっただけで、翌年には優勝してしまうということがあるのも、監督のリーダーシップの下、チームワークの力を示すものと言えよう。

 

 ところが、事業の経営という局面では、意外にもこの点が忘れられていることも少なくない。経営トップは、年の初めにりっぱな経営方針を発表するが、その年の終わりには、達成できなかったという結果とその原因を確認して終わり、誰もその責任を取らない、それが毎年が繰り返されるという場合がある。一体何がおかしいのか?

 

 それは、経営トップが、方針だけ出せば後は現場が何とかすべきことだと割り切ってしまい、この人間関係の問題、チームワークという問題を“リーダー自身が取り組むべき経営の問題”と捉えておらず、何ら手を打たないからである。それが繰り返されると、何が起こるかと言えば、極端な場合、経営トップの出す方針が単に“建前”や“年中行事”となって形式的儀礼的なものに過ぎないとのメッセージを社員の脳にインプットすることとなってしまい、誰も本気でそれを達成しようとは考えなくなる。

 

 そもそも経営者の示す目標がありきたりのもので、社員たちがぜひとも実現したくなるような目標を提示できていない場合も多い。極端な場合には、単なる売上目標や利益目標を以て、中期目標や事業計画の目標とする場合すらある。また、目標が形式的なものであるだけでなく、組織のメンバー間で真に目標を共有できていないため、個々のメンバーは、“自分中心的な考え方”に戻って、“社会や顧客にとって、あるいは、会社にとってどうか”ということよりも、“自分自身にとって利益となるか、好きか、楽しいか”という極めて視点の低い観点から、仕事上の問題を判断し、行動するようになる。そのように“私心”にとらわれた結果、嫌な仕事や面倒な仕事は、やろうとしなくなる。それが、“社会や顧客のため、会社のためになるかどうか”ということには、全く関心がない。また、組織の中の部署など小さい単位で、“その部署の利益”だけを考えて、自分たちの部署の目標の達成を優先させ、他の部署の目標や会社や社会の利益に無関心となり、いわゆる“部分最適”の考え方に陥って、相互の協力関係が生まれず、それぞれの部署がバラバラに活動したり、相互の活動が矛盾衝突するということが起こる。

 

 では、どうすれば、この「信条」の言う「和親協力」「一致団結」ということを実現することができるであろうか?その鍵は、「各員至誠を旨とし」という言葉にあると考える。つまり、組織の“構成員”が、夫々“自分の利益”だけを考えていたり、各“部署”が“自部門の利益”だけを考えていたのでは、このチームワークは実現することはできない。リーダーや他のメンバーを理解し、その意見を尊重して、組織全体の利益のために、時には“自分の主張を譲る”ということがどうしても必要となる。その自分を譲るという意味がこの言葉に表現されているのだ。実は、この言葉は、以前はより直接的に「自我を捨て」と言う言葉が使われていた。

 

では、なぜ自我を捨てられるのかと言えば、松下幸之助が最も重要な“心の持ち方”として強調する“素直な心”を持つことで、“自分の利害や感情などの私心のとらわれ”から抜け出し、「社会の発展の原動力となる」という“高い志”を共有できるからこそ、その目的のために“自分の利害”を劣後させるということが可能となるのだ。さらに、先に述べたように、人間には、人の役に立つことによって脳が喜ぶという“利他的な性質”がある。そのことに目覚め、 “高い志”、即ち“公的欲望”を真に共有することができれば、“人々の役に立つ”という“より大きな喜び”を、“自分の利害”という“より小さな喜び”に優先させるという決意も可能となるのである。つまり、“私的欲望を公的欲望に転換させること”が鍵となると言えよう。


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