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松下幸之助の経営哲学-その真髄の理解と実践のために-

世の中に優れた経営者と言われる人は多くいますが、”経営の神様”と言われたのは、松下幸之助だけです。なぜでしょうか?それは、卓越した観察力で様々な人々を観察する中で、人間の”無限の可能性”と現実の姿としての”心の弱さ”という相矛盾する本質を発見し、そして、それらの双方の本質を共に活かそうとして、”自分の心を使いこなす”こと、また、それを応用して他人を使うことを極めたからだと言えるのではないでしょうか。つまり、松下幸之助の経営哲学は、”人間学の集大成”とも言えるものです。

本サイトでは、これまで必ずしも十分に解明されなかった松下幸之助の経営哲学の機能とメカニズムを現代の神経科学や脳科学、心理学、神経言語プログラミングなどの知見にもとづいて解明し、その全体像を明らかにして体系化したものです。これまで松下幸之助の経営哲学は知識として頭で理解することはできても、本当の意味で実践することは必ずしも容易ではありませんでした。しかし、本サイトが解明したその経営哲学を”血肉”となるほど自分自身の”信念”とすることができれば、その経営に、また、人生に自然と実践することができるようになるでしょう。そうすれば、結果は自ずとついてくるものだと言えましょう。                                    

 

                           2016年5月1日 著者 宮﨑 勇気                 

4.5)“日に新た”(4)“日に新た”の実践を妨げるもの④

June 15, 2018

4.自然の理法に従う

 5)“日に新た”

 (4)“日に新た”の実践を妨げるもの ④

 

 “日に新た”を実践して変化に適応することができなかった失敗例を以下にご紹介する。それは、かつて1980年代には、世界を席巻した日本の家電メーカーが、この2000年以降、韓国や中国の企業に敗れた例である。

 

 それは、単に安価なモノづくりで負けたというだけの問題ではない。日本企業の致命的な問題点は、“過去の成功体験”、即ち、戦後“工業化社会”の段階にあった当時に成功した“規格大量生産型ビジネスモデル”にとらわれ、“デジタル化”と“顧客ニーズの多様化”という経営環境の変化に気づかず、それ故、その変化に適応するための自己革新をすることができなかった点にあったと考えられる。

 

 日本企業は、“作れば売れた”高度経済成長時代に“規格大量生産型ビジネスモデル”で大成功した。そもそもモノ不足の時代であったから、例えば、三種の神器と言われた洗濯機、冷蔵庫、テレビは、出せば売れたから、規格を決めて大量生産することによって、効率化し製造原価を大幅に下げることができた。日本で成功した家電メーカーは、同じ考え方で、海外にも展開して行ったのである。その大成功した“規格大量生産”という考え方が、自分たちにとって居心地のいい領域(コンフォートゾーン)となって行った。

 

 ところが、その後、経営環境は大きく変わった。

 

 第一に“デジタル化”である。デジタル化によって、日本のメーカーの得意な“擦り合わせ”の技術が必要なくなり、電子部品を買ってきて、組み合わせれば誰でも作れるようになり、韓国や中国のメーカーが参入して、各社の製品間に大きな違いがなくなって、製品がいわゆるコモディティ化したのである。そうなると、際限のない価格競争に突入し、人件費の安価な韓国や中国のメーカーが有利となる。

 

 第二に、顧客のニーズの多様化である。モノが行き渡るようになってくると、顧客は、“規格品”に飽き、“主観的な満足”を求めて、その求めるニーズも多様化してくる。日本の家電メーカーは、この“顧客のニーズの主観化・多様化”という経営環境の変化にも気づかず、あるいは、それを軽視して、顧客の多様なニーズに応えていくという方向性を見出すことができなかった。

 

 日本の家電メーカーは、これら二つの経営環境の変化になぜ気づかなかったのか?

 

 それは、高度経済成長時代から1980年代まで“規格大量生産型ビジネスモデル”で大成功したからである。“規格大量生産型ビジネスモデル”が大成功したが故に、それが自分たちにとって居心地のいい心の領域(コンフォートゾーン)となって、それにとらわれた結果、それ以外のそれに反するデジタル化や顧客ニーズの多様化などの情報が認識の対象から“削除”されて、耳に入らなくなった、あるいは、耳に入ったとしても、 “規格大量生産型ビジネスモデル”を軸として、それらの情報を都合のいいように歪めて過小評価し(“歪曲”)、“規格大量生産型ビジネスモデル”はまだまだ行ける、変える必要はないと決めつける“一般化”)のである。

 

 その結果、先に述べたデジタル化や顧客ニーズの多様化という経営環境の変化にも気がつかないか、また、仮に気づいたとしても、軽視あるいは無視したのである。そして、依然としてプロダクトアウトの発想で、商品の最適モデル(“規格商品”)ありきの考えに立って、それを決め、その後は “より良いものを作れば売れる”と誤信して、“過去に成功した商品を磨き上げること”に専念し、会社内部の“生産の効率性”を重視し、地域からの仕様変更の要請を切り捨ててきたのである。

 

 こうして、日本の家電メーカーは、特に経営者層が“素直な心”を失い、“規格大量生産型ビジネスモデル”に“とらわれ”て、経営環境の変化の実相を的確に捉えられず、本来目指すべき新たな方向(“為すべきこと”)に気づかなかったことから、“日に新た”を実践し、“自社革新”を断行して環境の変化に適応する機会を逃してしまったのである。

 

 その間隙をついて、顧客の多様なニーズに応えてきたのが、韓国や中国の企業だった。韓国のサムスンのイゴンヒ会長は、既に80年代の終わりに“製品は日本企業の物真似で、価格は2割高い”という、かつての同社の“日本企業追随型のビジネスモデル”のままでは、同社に将来はないと見切りをつけ、日本企業とは違うビジネスモデルを模索した。その結果、“グローバル化”と彼らが呼ぶ“地域密着型のモノ造りとマーケティング戦略”に到達し、それを徹底して実行したのである。

 

 具体的には、日本企業が未だ十分に開拓できていないが、将来性のある市場としてBRICS諸国に目をつけて工場等の拠点を置き、その地域の文化や生活習慣に精通した社員を累計4000名育成し、それらの“地域専門家”と呼ばれる社員たちが、あらゆる角度から意見や提案を出し、地域密着型のモノ造りとマーケティングを徹底して行ったのだ。さらに、均一化した規格大量生産型の“最適モデル”に飽き、自分の主観的な満足を求めるようになった顧客が、商品の性能や品質だけでなく、その外観やデザインを重視する時代に変わりつつある時代の変化を敏感に感知し、社内デザイナー約200名を育成し、ピアノブラックという色を使ったプラズマテレビなど斬新なデザインを次々と展開して行った。そして、例えば、携帯電話について言えば、何百というモデルを出し、顧客の反応を見ることによって、きめ細かく顧客のニーズを把握し、その地域の顧客が最も求めるモデルはどれかをいち早く掴んで、提供して行ったのである。このように韓国企業は、時代の変化を読んでデザインの良い多様なモデルを安くつくることに成功し、夫々の地域の顧客のニーズをきめ細かく掴んで実現していった。

 

さらに、その後を追いかけてきて、既に今や韓国企業の脅威となりつつあるのが、中国企業である。スマートフォンでは、既に中国のシャオミ―が韓国のサムスンを超えたとも言われている。

Copyright © 2018 Yuki Miyazaki  All rights reserved.

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