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松下幸之助の経営哲学-その真髄の理解と実践のために-

世の中に優れた経営者と言われる人は多くいますが、”経営の神様”と言われたのは、松下幸之助だけです。なぜでしょうか?それは、卓越した観察力で様々な人々を観察する中で、人間の”無限の可能性”と現実の姿としての”心の弱さ”という相矛盾する本質を発見し、そして、それらの双方の本質を共に活かそうとして、”自分の心を使いこなす”こと、また、それを応用して他人を使うことを極めたからだと言えるのではないでしょうか。つまり、松下幸之助の経営哲学は、”人間学の集大成”とも言えるものです。

本サイトでは、これまで必ずしも十分に解明されなかった松下幸之助の経営哲学の機能とメカニズムを現代の神経科学や脳科学、心理学、神経言語プログラミングなどの知見にもとづいて解明し、その全体像を明らかにして体系化したものです。これまで松下幸之助の経営哲学は知識として頭で理解することはできても、本当の意味で実践することは必ずしも容易ではありませんでした。しかし、本サイトが解明したその経営哲学を”血肉”となるほど自分自身の”信念”とすることができれば、その経営に、また、人生に自然と実践することができるようになるでしょう。そうすれば、結果は自ずとついてくるものだと言えましょう。                                    

 

                           2016年5月1日 著者 宮﨑 勇気                 

6.補論①失敗しない経営:松下幸之助とリスクマネジメント⑱ 6)乱を忘れず②

September 13, 2019

6.補論①失敗しない経営:松下幸之助とリスクマネジメント⑱

6)乱を忘れず②

 

 実は、この事件の45年前に雪印で全く同じ事件が起こっていた。1955年(昭和30年)に東京都で発生した雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件である。原因は、学校給食に供された雪印乳業(現:雪印メグミルク)製の脱脂粉乳であった。前年に工場内で、たまたま停電と機械故障が重なる日があった。この際、原料乳の管理が徹底されず、長時間にわたり原料乳が加温状態にさらされたことから、溶血性ブドウ球菌が大量に増殖したと考えられている。また、前日の原料乳が使い回されるといった杜撰な製品管理も重なり、被害が拡大したとされる。雪印乳業は発覚後、即座に謝罪と製品回収、謝罪広告の掲載、被害者への謝罪訪問など先手先手で対応措置を展開した。事後の危機管理という点では、今回の対応に比べて、はるかに誠意のある適切な対応であった。

 

 しかしながら、当時の雪印社長であった佐藤貢は、「全社員に告ぐ」という文章を作り、『信用を獲得するには長い年月を要し、これを失墜するのは一瞬であり、そして信用は金銭で買うことはできない』旨を記し、「安全な製品を消費者に提供することこそが雪印の社会的責任であること」を訴え続けた。雪印乳業は、昭和後期までは『全社員に告ぐ』を新入社員に配り、八雲工場事件の教訓を常に教え、安全な製品作りを心掛ける教育を施していた。その結果雪印グループは、乳業トップ・食品業界でも屈指の巨大企業グループに登り詰めた。しかしグループの事業規模拡大とともに、トップブランドへの驕りが生じ、安全教育も風化していったのである。

 

 そして、それから45年後の2000年、皮肉にもほぼ同じ原因で、雪印集団食中毒事件が発生したというわけである。前の事件で痛い目にあって大いに反省し、信用を守ることの大切さを胸に刻んできたはずであったのに、世代代わりし、当時の経験をした世代がいなくなり、他方で、会社としても大いに発展し、乳業トップ・食品業界でも屈指の大企業グループとなった同社には、驕りと油断が生じた。かつての会社の信用を大きく損なった痛恨の大事件も忘れてしまい、本来廃棄すべき滞留した原料を殺菌装置で黄色ブドウ球菌を死滅させれば安全だとの現場の勝手な判断で、脱脂粉乳の製造にそのまま使用され、しかも隠蔽された。会社の信用や顧客の健康という大事なことが、頭の中に全くない。

 

 その昔、豊臣秀吉が朝鮮に派兵したときのこと。朝鮮で戦っていた加藤清正が、秀吉から召喚の命を受けて、前線から引き返す途中、密陽というと ろで、友将戸田高政の接待を受けることになった。そのあたり二、三十里は日本側が制圧し、相手方の軍勢も全くなく、治安も安定していたので、高政や家臣はみな平生の服装で出迎えた。ところが、清正の軍は全員戦場に出向くようないかめしい姿で到着した。そして城中に入った清正が腰につけていた袋をとりはずしたので、見ると、米三升に千味噌と銀銭が入っていた。そうした姿に、高政がやや機嫌を損じ、「このあたりに敵もいないのに、どうしてそんなものものしい格好をするのだ。」とたずねると、清正は「たしかにその通りだが、しかしとかくものの大事は油断から起こる。敵がいないからと油断していて備えを怠っていて、万一に急変が起こったら、これまでの戦果も全く水の泡になってしまう。そうでなくても、下の者はつい油断しがちになるもので、まして大将の自分が少しでもくつろげば、下これにならうということもあるように、みな大いに油断してしまう。そうならないために、自分は面倒をいとわず、こうしているのだ。」と答えたので、高政も非常に感ずるところがあったという。

 

 松下幸之助は。この清正の話を引用して、次のように述べている。「人間はとかく易きにつきがちで、だから無事太平な姿が続くとついそれに慣れてしまい、何か事が起こってはじめてあわてるといった姿に陥ることが少なくない。そういう姿に対して、昔の人は『治にいて乱を忘れず』ということばをもって戒めている。波風の無い安定した状態がいつまでも続けばいいけれど、世の中というものは変転きわまりなく、いついかなる事態が起こるかもわからない。だから平和で順調な時にあっても、つねに混乱、逆境というものに思いをいたし、心がまえの上でも実際的な点でも、いわば物心両面の備えを怠ってはいけないということである。」(「指導者の条件」より)

 

 そして、そのような備えは、特に指導者こそ心すべきことだとして、次のように述べている。「指導者が治にあって治に溺れるというような姿でありながら、下の者に『乱を忘れるな』といっても、それはムリというものである。たとえ下の者は乱を忘れても、指導者がこの心構えをしっかり持っていれば、それなりに乱に対処する道は生まれてくると思うのである。」(「指導者の条件」より)「私は寝ていないんだよ!」と叫んだ社長の石川哲郎はこの点論外であろう。

 

 さらに進んで、松下幸之助は、事業経営が順調に行き過ぎているときにこそ注意が必要だと警告する。曰く、「世の中は妙なもので、何でも、いいことが三べん続くと失敗すると言われている。人間本来の性質として、勝ちが三べんも続くと、どうしてもうぬぼれてきて油断をするようになる。我田引水的になり、唯我独尊的になって、為すべきことをやらない、考えるべきことも考えないというのが人間の本性である。尺取虫は、二寸行って一寸戻る。これはいいことだ。3年儲けて、なお4年目も儲けるというのは、尺取虫が伸びきって後に戻れなくなったときだ。これは死ぬときだ。死ぬ方がいいのか、1年分返して生き残る方がいいか。今損する方がいいに決まっているそして翌年また儲ける。そう考えれば悩みがなくなる。だから、慌てない。気を楽にものごとができる。すると知恵が出るから、あるいは4年目も続けて儲けるということもある。」

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