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松下幸之助の経営哲学-その真髄の理解と実践のために-

世の中に優れた経営者と言われる人は多くいますが、”経営の神様”と言われたのは、松下幸之助だけです。なぜでしょうか?それは、卓越した観察力で様々な人々を観察する中で、人間の”無限の可能性”と現実の姿としての”心の弱さ”という相矛盾する本質を発見し、そして、それらの双方の本質を共に活かそうとして、”自分の心を使いこなす”こと、また、それを応用して他人を使うことを極めたからだと言えるのではないでしょうか。つまり、松下幸之助の経営哲学は、”人間学の集大成”とも言えるものです。

本サイトでは、これまで必ずしも十分に解明されなかった松下幸之助の経営哲学の機能とメカニズムを現代の神経科学や脳科学、心理学、神経言語プログラミングなどの知見にもとづいて解明し、その全体像を明らかにして体系化したものです。これまで松下幸之助の経営哲学は知識として頭で理解することはできても、本当の意味で実践することは必ずしも容易ではありませんでした。しかし、本サイトが解明したその経営哲学を”血肉”となるほど自分自身の”信念”とすることができれば、その経営に、また、人生に自然と実践することができるようになるでしょう。そうすれば、結果は自ずとついてくるものだと言えましょう。                                    

 

                           2016年5月1日 著者 宮﨑 勇気                 

5.2)経営観 企業は社会の公器 ⑦

January 11, 2019

5.2)経営観 企業は社会の公器 ⑦

 

 それでは、このような“社会的責任感”を持つことは、具体的にどのような効果を持つのであろうか?

 

 この“社会的責任感”は、経営目標を設定する場面だけでなく、日常の経営において具体的な問題に対処する場面においても、その経営判断を行うに際して、極めて大きな力を発揮する。

 

 まず、第一に、経営の目標を設定する場面においてである。この場面では、私たち人間は、往々にして、自分の感情や周囲の情勢に流されて、あるいは、自分可愛さや“心の弱さ”から、苦しい困難な道を避けて、安易に“低い目標”でお茶を濁そうとする。他に“社会の為に役立つ”目標があると頭ではわかっていても、その道が険しく、幾多の困難が待ち受けている、あるいは、それには多くの費用がかかることがわかると、それを避けて、今のやり方のままで楽にやれる、あるいは、自分たちの容易に手の届く、“低い目標”に甘んじるなど、自分たちに都合のいい“易き道”を選ぼうとするものだ。

 

 松下幸之助は、この点、次の様に述べている。曰く、「人間は、易きにつきやすい。ああしなければと頭ではわかっていながら、自分が可愛いから、つい甘やかし、適当なところでお茶を濁しておきたくなる。」

 

 そのように“私心”にとらわれた人間の“心の弱さ”から低い目標や安易な解決策に甘んじようとするときに、この“社会的責任感”は、その強烈な情動の力によって瞬時に“易きに流れる”心の動きにストップをかけて、その“心の弱さ”を払拭するとともに、“社会に対する責任”を明確に心に想起させて、社会の発展のために社会が真に求める高い目標や根本的な解決策を目指すという“正しい方向”に転換させるのである。人間は、二つの感情や気持ちを同時に持つことはできないから、“強い責任感”を持つことができれば、“心の弱さ”や“甘さ”は排除され、入り込む余地はなくなるのだ。これは、社会的責任という“理屈”からくるものではなく、自身の“信念”と化した“社会的責任感”が生み出す“情動”の力によるものである。

 

 第二に、法令や契約などを遵守するという場面(いわゆるコンプライアンス)においてである。最近企業の不祥事が、繰り返し起こっている。例えば、2017年10月に発覚した神戸製鋼所をきっかけに三菱マテリアル、東レなどと続いた日本企業の品質管理データ改ざん問題である。社内の品質検査において、これから出荷しようとする自社製品が、取引先との契約で約束した仕様のデータに満たないことが判明した場合にどのように判断をするのかということがここでの問題である。本来、品質検査の結果、取引先の要求を満たさない製品は、破棄するか、事情を説明して、取引先が納得した場合にのみ「特別採用」として出荷すべきである。

 

 ところが、これらの企業では、“データの改ざん”というものが取引先との契約に違反することをわかっていながら、『仕様を逸脱しても一定程度なら安全性の問題はない』とか『顧客の納期に間に合わせるため』などの手前勝手な理由から、どうせ顧客や世間にはわからないだろうとの甘い考えの下に長年慣行的に行われてきた。それがいわゆる“内部告発”によって、“表沙汰”になったのである。最近はほとんど社員等の“内部告発”によって、そのような従来企業の内部に隠されて外部に知られることのなかったことが世間に知られるようになってきている。

 

 このような人間の性について、松下幸之助は次の様に述べている。「悪いとわかっていることだのにやめられない。そして、悶々とする。・・・人間とはそうした弱さのかたまりだとも言える。」と述べている。魔がさして悪いことに手を出してしまい、悪いことだと頭ではわかっていても、自分に利益があり、あるいは、やめたときの不利益が大きいために、やめられない。人間というものは、そういう“心の弱さ”を持つものだと言うのである。繰り返される一流企業の不祥事を見るにつけ、残念ながら、上の言葉が改めて正鵠を得たものだと痛感される。

 

 そして、松下幸之助は、次の様に続ける。曰く、「そこから先のところで差がついてくるのである。そのまま弱さに引きずられ、その中に埋没してしまうか、少しでも弱さに打ち勝つ努力をするか、で違ってくる。そうして自分の弱さに打ち勝ってゆくところにお互いの進歩向上がある。」

 

 このような場合に、“社会の公器”としての“社会的責任感”がそのような“自分の利害”にとらわれた“心の弱さ”から瞬時に覚醒させてくれるのである。“社会の発展のため”という“公の目的”を有する“社会の公器”に働く者が、契約という“社会のルール”を守らないということは、“自己矛盾”であり、それらの“社会のルール”を守るべきは“社会の公器”として当然の前提だからである。それ故、後述する“社会の公器の使命”の一つとして、松下幸之助は、『企業の活動の過程が社会と調和したものでなくてはならないこと』を挙げている。

 

 また、『経営の心得』三カ条の一つとして、「良き経営は社会を益し、悪しき経営は社会を毒す、されば良き経営を行うためには各自肝胆を砕くべきものと心得べし」と述べている。社会のルールに反する経営は、“社会を毒する悪しき経営”というべきである。とすれば、自社の目指すべき“社会を益する良き経営”とは、相容れないことは明白である。

Copyright © 2018 Yuki Miyazaki  All rights reserved.

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      である“松下幸之助の経営哲学”の現代の諸問題への応用として、最近の話題等をテーマにしたブログです。

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