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松下幸之助の経営哲学-その真髄の理解と実践のために-

世の中に優れた経営者と言われる人は多くいますが、”経営の神様”と言われたのは、松下幸之助だけです。なぜでしょうか?それは、卓越した観察力で様々な人々を観察する中で、人間の”無限の可能性”と現実の姿としての”心の弱さ”という相矛盾する本質を発見し、そして、それらの双方の本質を共に活かそうとして、”自分の心を使いこなす”こと、また、それを応用して他人を使うことを極めたからだと言えるのではないでしょうか。つまり、松下幸之助の経営哲学は、”人間学の集大成”とも言えるものです。

本サイトでは、これまで必ずしも十分に解明されなかった松下幸之助の経営哲学の機能とメカニズムを現代の神経科学や脳科学、心理学、神経言語プログラミングなどの知見にもとづいて解明し、その全体像を明らかにして体系化したものです。これまで松下幸之助の経営哲学は知識として頭で理解することはできても、本当の意味で実践することは必ずしも容易ではありませんでした。しかし、本サイトが解明したその経営哲学を”血肉”となるほど自分自身の”信念”とすることができれば、その経営に、また、人生に自然と実践することができるようになるでしょう。そうすれば、結果は自ずとついてくるものだと言えましょう。                                    

 

                           2016年5月1日 著者 宮﨑 勇気                 

5.1)事業の目的・会社の存在意義 ②

October 12, 2018

5.社会とともにある経営 

1)事業の目的・会社の存在意義:“事業を通じて社会に貢献する”(「綱領」)②

 

 「綱領」の第二の意義は、自然の摂理である“生成発展の原理”を踏まえて、経営者と社員の意識を向ける先を“人間に与えられた使命”たる「物心共に豊かな社会の実現」という高いところに引き上げることによって、“私的欲望”から“公的欲望”に転換させるという点にある。そもそもこの「綱領」の趣旨は、「生成発展の原理」を踏まえて、その“社会の発展を実現する手段”である“企業”の“存在意義”または“事業の目的”を定めるものであるから当然であるとも言える。

 

 ここでの問題は、“事業や商売を行う上で私たちの意識を何にフォーカスすべきか”ということである。私たち人間は、外部の情報をすべて均等に認知しているわけではない。“自分の見たいものを見ている”、つまり、自分が正しいと思うこと(信念)や自分が重要だと思うこと(価値観)を軸として、情報を選択して認知しているのだ。それ故、一つのことに“焦点”を当てると、脳のRASの機能によって、それに関連する情報が集まってくる(“焦点化効果”)一方、それ以外のことは“削除”され、“盲点”となって認識されなくなるのである。とすれば、私たちが、事業や経営を進めるに際して、“何に自分の意識をフォーカスするのか”ということが、極めて重要となる。

 

 この点、私たち人間は、「自分が一番可愛い」から、“自分”を中心に物事を考えがちである。しかし、それが行き過ぎると、自分の利害や感情などの“私心”に“とらわれ”て、いつも“自分”を中心に置き、そこに意識をフォーカスして、自分にとって得になることや好きなこと、あるいは、楽しいことに関する情報を集め、反対に、自分に損になることや嫌いなこと、あるいは、苦痛となるようなことの情報を拒否し、排除する。要は、何事も自分にとって損か得か、好きか嫌いか、楽か苦痛かという基準のみで判断するようになってしまうのだ。その結果、それ以外の情報は“削除”されて、“盲点”となり認識しなくなるか、あるいは、目の前の現象を自分の都合のいいように“歪めて”解釈し、数少ない経験で“決めつけ”てしまう。こうして近視眼的な視野狭窄に陥る。まさに“山に入る者 山を見ず”の状態となり、自分の周辺しか見えず、それ以外の情報が見えなくなってしまう。

 

 それらの“それ以外の情報”の中に、事業経営のための重要なヒントやチャンスに関する情報が含まれる場合が多いのである。それらが、目の前にあっても“削除”され見えなくなる、あるいは、“歪め”られて、正しく認識できなくなってしまうからである。そのような自分自身や自分の会社の利益を意識の中心においた、自己都合の物の見方や考え方では、結局、事業経営はうまくいかない。往々にして、そのような経営は、社会や人々の求めるものと合致せず、社会や人々の支持が得られないからである。

 

 そして、この綱領の意図する“事業を通じて社会の発展に貢献する”ということは、このように“自分自身”の利害や感情等にとらわれがちな私たち人間の意識の焦点を、“社会の発展”という高いところに引き上げることによって、高い視点から物事が全体的な視野で客観的に俯瞰することができるようになるという点にその実践的な意義がある。それによって、脳のRASの機能の焦点が変わり、“社会の発展”につながる情報が地引網のように集まってくるからである。その結果、それまで”盲点”となって見えなかった様々な有益な情報やヒント、チャンスを認識することができるようになるのである。

 

 この点、企業の現場で何が起こっているか?

 

 例えば、驚くべきことに、売上や利益という数値目標自体が中期計画や事業計画の内容となっている会社がある。一体何を目指して経営や事業活動を行うのか、全く不明である。後は“現場の頑張り”に委ねて、期末に数字が足りないときは、“根性論”でハッパをかける。また、仮に“経営の目指す姿”が描かれていても、それはあくまで“スローガン”あるいは“建前”に過ぎず、実際の経営においては、全く意味を持たず、日々の事業活動とも全くつながっていない。

 

 経営幹部が集まって“経営”を議論すべき経営会議においても、“経営の目指す姿”の達成度の現状や未達の原因、対策などが議論されることはない。売上や利益の目標数字の達成状況にのみ意識が行って、売上/利益目標の進捗度の報告から始まり、未達成の原因や責任者の責任の追及など“数字による管理”と“弁解”に終始とする。そうなると、上も下も数字ばかりにとらわれて、視点は低くなり、視野は狭くなって、本当に重要な“経営の姿として何を目指すのか”ということ、つまりどのようにして“社会の発展の原動力となる”のか、“人々の求めるものに応えて行く”のか、“そのために何が必要か”、“目指すべき姿から見て現状をどう評価するのか”“そして、今何をすべきなのか”という視点が欠落し、それらに関連する情報も“削除”され、認識できなくなってしまい、“社会は何を求めているか”という重要なことが、経営会議で提案されたり、議論されることはなくなってしまうのである。

 

 また、例えば、新商品の企画をする場合にも、利益目標の達成ということにとらわれて、見かけ上の利益率の高いモデルを、売れれば高収益が期待されるとの机上での手前勝手な考えで、無理に採用する。ところが、それは結局“取らぬ狸の皮算用”であって、顧客の求めるものと合致せず、売れ残って在庫の山を築いてしまう。あるいは、既に“社会の求めるもの”が変化しているにも拘らず、過去に成功した製品にいつまでも依存してそれを“改良”すれば売れるはずだとの“思い込み”で商品化し、結果として顧客の支持を得られないという“過ち”を犯してしまう。

 

 これらは、いずれも“現在あるいは将来の顧客が真に求めているもの”という重要なことが“削除”され、見えなくなってしまっているのであり、事業の成功はおぼつかない。

Copyright © 2018 Yuki Miyazaki  All rights reserved.  

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      創業者である“松下幸之助の経営哲学”の現代の諸問題への応用として、最近の話題等をテーマにしたブログ
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      最新の記事は、「私たちは“仮想現実の世界”に生きている!4)勝者が歴史をつくる①」です。

 

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