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松下幸之助の経営哲学-その真髄の理解と実践のために-

世の中に優れた経営者と言われる人は多くいますが、”経営の神様”と言われたのは、松下幸之助だけです。なぜでしょうか?それは、卓越した観察力で様々な人々を観察する中で、人間の”無限の可能性”と現実の姿としての”心の弱さ”という相矛盾する本質を発見し、そして、それらの双方の本質を共に活かそうとして、”自分の心を使いこなす”こと、また、それを応用して他人を使うことを極めたからだと言えるのではないでしょうか。つまり、松下幸之助の経営哲学は、”人間学の集大成”とも言えるものです。

本サイトでは、これまで必ずしも十分に解明されなかった松下幸之助の経営哲学の機能とメカニズムを現代の神経科学や脳科学、心理学、神経言語プログラミングなどの知見にもとづいて解明し、その全体像を明らかにして体系化したものです。これまで松下幸之助の経営哲学は知識として頭で理解することはできても、本当の意味で実践することは必ずしも容易ではありませんでした。しかし、本サイトが解明したその経営哲学を”血肉”となるほど自分自身の”信念”とすることができれば、その経営に、また、人生に自然と実践することができるようになるでしょう。そうすれば、結果は自ずとついてくるものだと言えましょう。                                    

 

                           2016年5月1日 著者 宮﨑 勇気                 

4)人を使いこなす(3)“人間への愛”にもとづく経営②

April 7, 2017

4)人を使いこなす

 

(3)“人間への愛”にもとづく経営 ②

 

 産業革命以降これまでの規格大量生産型工業化社会においては、企業のやるべきことは比較的明確であり、“その明確なやるべきことを如何に効率良く行うか”が最も重要な問題であり、その能力の差が他社との競争力となったと言える。そのため“業務の効率化”を優先する“管理型マネジメント”が広く普及した。日本企業も例外ではない。

 

 しかし、この管理型マネジメントというものは、基本的に“人間は管理しなければ効率的には動かない”という“人間に対する不信感”をベースとし、会社の方針の下、経営トップの決定した事項を上意下達、即ち、上司が指示・命令し、部下はそれを忠実に実行するという軍隊型の組織で、忠実かつ全社を挙げて実行がなされる。その上で、その指示・命令が正しく実行されたかどうか、その結果を経営陣が監視し、売上や利益等の数値目標等により管理し、必要な修正を図っていくものである。そうすると、部下は、上司に全く依存して、あるいは、“自分”を無理に抑圧して、上司の言いなりになる他ない。命令に反したり、結果を出せないと、罰則が待っているからだ。それは、いわば経営者側の「フォース(力)」による“脅し”とそれを受ける社員たちの“恐れ”に依存した経営だ。また、そのような力による経営の下では、社員たちを機械やモノと扱い、“コスト”とみなすこととなる。そして、会社の都合で“削減”される。“非正規社員”の登場は、それを加速させた。

 

 しかし、そこには“人を活かそう”という視点が、“削除”され“盲点”となってしまう。また、その対象となる社員たちの“心の持ち方”は、“疑い”や“恐れ”、“不信”や“不安”に満ちたものとなり、自分自身のことで精一杯となり、“内向きの意識”となる。このような管理型マネジメントの下では、社員たちの意識レベルは低いものとなる。その結果、ほとんどの社員たちは、仕事にワクワクすることもなく、その“能力”を十分に発揮できず、“不満”を感じる一方、より効率的に、より効果的に、という上からの管理のプレッシャーを常に感じるという“苦痛に満ちた現状”に多くの企業が喘いでいる。(「第8の習慣」スティーブン・R・コヴィー著pp.18-21)

 

 社員たちの気持ちがこのような状態では、“人々の役に立つ”こと、つまり、“顧客のニーズに応える”とか“他社にない顧客価値を提供する”など到底考えられない。このように社員たちの意識レベルが低い状態では、どんなに素晴らしい経営理念を持っていても、また、どんなに素晴らしい経営戦略を採用していても、うまくはいかないであろう。自分のことで頭が一杯の社員たちに、“理念”は響かないし、“戦略”の意図する狙い通りには動いてくれないからである。当然のことながら、如何なる優れた戦略も、実行するのは、経営トップではなく、社員たちなのである。

 

 かつてもてはやされた“日本的経営”の象徴とされ、社員の身分保障的な機能を有していた“終身雇用制度”と“年功序列制度”が消えゆく中、欧米流の“合理主義的管理型マネジメント”が普及し、また、一方で安い給料で身分保障のない(経営者にとって人員のコントロールをし易い)“非正規雇用社員”が増えていく中で、日本企業がおかしくなってきたようにも思われる。社員の意識レベルは下がり、“疑い”や“不安”、“恐れ”、“相互不信”の中で、如何に上からの管理の圧力をかわし、ただ言われたことだけをやるか、あるいは、やったふりをするかということだけが主たる関心事項となってしまい、もっと重要な事柄がすべてその意識から“削除”されて見えなくなってしまうからである。

 

 一方で、今社会は、これまでの工業化社会から情報化社会へ、さらには、“知恵の時代”へと転換しつつある。顧客のニーズは、主観化し、多様化し、変化していく。従来の規格大量生産型のモデルではもはや対応することができない。また、変化の激しい経営環境の中、顧客から最も離れたところにいる本社の経営陣が極めて限られた情報で方針や戦略を決めるという従来のやり方では、顧客ニーズが主観化し多様化する経営環境の変化にタイムリーに適応していくことは困難である。

 

 このような変化の激しい経営環境においては、それらの多様かつ変化していく顧客のニーズを如何に的確に把握し、応えていくか、そのためには、単に最前線の情報をタイムリーに集約するだけでなく、そこから新たな製品やサービスにつなげる“知恵”を生み出すことが求められる。そのためには、顧客と直接接する最前線の社員たちが、顧客の方を向いて、顧客のために新たな顧客価値を生み出すことに“内発的動機”を持って、顧客のニーズに関する最前線の情報と自身の提案を本社に出して行く、そして、本社は、それらを汲み上げて知恵と工夫で実現していくという仕組みが企業の中になければならない。

 

 また、上に見たように管理型マネジメントの下では、“合理主義”から“表面的な効率の良さ”が追及される一方、社員たちの中に眠る“宝の山”即ち、“顧客のニーズ”に応え“顧客価値”を創造する方向に向けた“内発的動機”から生まれる“意欲”や“情熱”、“知恵”と“工夫”、さらには、その自発的な行動がすべて抑圧されてしまい、自ら考えて行動しなくなる。ロボット技術が急速に進歩する中、人間の労働の相当な部分がロボットに置き換わっていくと、益々人間にしかできない“知恵”と“工夫”の部分が重要になってくる。しかし、これからの“知恵の時代”に最も必要とされる“知恵”は、“強制”や“管理”からは生まれないのである。この点が、“人間的な部分”を“削除”する“管理型マネジメント”の最大の、そして、致命的な欠陥である。

Copyright © 2017 Yuki Miyazaki  All rights reserved.

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