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松下幸之助の経営哲学-その真髄の理解と実践のために-

世の中に優れた経営者と言われる人は多くいますが、”経営の神様”と言われたのは、松下幸之助だけです。なぜでしょうか?それは、卓越した観察力で様々な人々を観察する中で、人間の”無限の可能性”と現実の姿としての”心の弱さ”という相矛盾する本質を発見し、そして、それらの双方の本質を共に活かそうとして、”自分の心を使いこなす”こと、また、それを応用して他人を使うことを極めたからだと言えるのではないでしょうか。つまり、松下幸之助の経営哲学は、”人間学の集大成”とも言えるものです。

本サイトでは、これまで必ずしも十分に解明されなかった松下幸之助の経営哲学の機能とメカニズムを現代の神経科学や脳科学、心理学、神経言語プログラミングなどの知見にもとづいて解明し、その全体像を明らかにして体系化したものです。これまで松下幸之助の経営哲学は知識として頭で理解することはできても、本当の意味で実践することは必ずしも容易ではありませんでした。しかし、本サイトが解明したその経営哲学を”血肉”となるほど自分自身の”信念”とすることができれば、その経営に、また、人生に自然と実践することができるようになるでしょう。そうすれば、結果は自ずとついてくるものだと言えましょう。                                    

 

                           2016年5月1日 著者 宮﨑 勇気                 

6)パートナーの力を最大限に発揮させる(1)共存共栄①

July 28, 2017

6)パートナーの力を最大限に発揮させる

 

(1) 共存共栄 ①      

 

 “自分の立場”からしかものが見えない人は、商売で成功することはできない。例えば、世の中が不況になってくると、仕入先からの原材料の仕入れ価格について無理な値下げ要求をしたり、あるいは、販売先に無理に“押し込み販売”をしたりして、仕入先や販売先の“犠牲”において“その場しのぎ”で短期的に自社の利益や売上を確保することを優先する会社が出てくる。

 

 しかし、このような方法で、自分の会社の都合だけで、自社の利益を図るというやり方は、仕入先や販売先の“反感”を買い、それがいずれ爆発して反旗を翻すこともあろうし、そうでなくとも、本当に協力してもらいたいときに“心からの協力”が得られなくなる。結局そのようなやり方は、仮にその時にはうまく行っても、その成功は“一時的”なものであり、“長期的かつ大きな成功”に繋がることは決してない。

 

 私たち人間は、ややもすると“自己中心的な考え方”に陥りがちである。“自分”を中心に置いて、自分の利害や感情など“自分の都合”で物を考え、それを他人に押し付ける。会社のレベルでも同様である。“自社の立場・都合”にとらわれて、“視野狭窄”に陥り、自分や自社の立場からしか物を見ることができず、それ以外の重要な情報が目の前にあっても認識から“削除”され、“盲点”となって認識できなくなる。“自分さえよければいい”と自分のやり方考え方を相手に押し付ける。また、“自分の都合”のいいように“歪めて”物事を見る、例えば、自分の基準・やり方を相手に一方的に当てはめ、“これで相手もいいはずだ”との“勝手な思い込み”から、一方的に“決めつける”。このような事業経営をしていては、いつか必ず破綻する。

 

 事業経営において、より持続的で大きな成功を得るためには、やはり“自社の利益”だけでなく、仕入れ先や販売先などビジネスパートナーの利益をも包み込んで共に繁栄する方向を目指すことが不可欠である。即ち、近江商人の言う“人もよし、われもよし”というより大きな共通の利益を目指すことが大切である。

 

 松下幸之助は、それを「自明の理」だと言う。曰く、「人間は、ほんとうは一人では生きられない。これは自明の理である。そしてこの理に目がひらけば、われ人とともに生きる道を考える。自分を大事にしようと思えば思うほど、他人をさらに大事にし、自分を愛すると同じほどに、他人をも愛することにつとめるのである。自分本位に走りがちなのは、人情の一面ではあるけれど、それでは結局はゆきづまる。自明の理をふみはずしているからである。」(「続道をひらく」p.234)

 

 この「人とともに生きる道」こそ、松下幸之助の言う「共存共栄」の考え方である。但し、この“共存共栄”の関係というものは、互いに“もたれ合い”、“依存し合う”関係を言うのではない。夫々が“自主性”“独立性”を堅持することが、大前提であって、その上で互いの繁栄のために協力し合い、また、時には双方の利益のために相手に対して厳しい要求をすることもある。仕入先や販売先との関係で言えば、それによって1+1が3にも4にもなる大きな競争力となり、大きな成果につながる。その上でその成果を分かち合い、共に栄えようとするものである。

 

 そして、それは、自然界に厳然と存在する“自然の理法”であり、そして、“社会の理法”でもある、自然も人間社会も、“共存共栄”が本来の姿なのだと言う。つまり、松下幸之助のいう“共存共栄”とは、“自分さえよければいい”という“私心へのとらわれ”を明確に否定するものである。

 

 そもそも企業による事業経営というものを“人間社会の発展を実現するための手段”だと捉える松下幸之助の考え方からすれば、むしろ当然の論理的帰結である。従って、それは、事業に係るすべての利害関係者、今の言葉で言えばステークホルダーについて、妥当することである。社会は、お互いに繋がり合って成り立っているとの認識の下に、自社だけでなく、仕入先や販売先などが共々に栄える、“共存共栄”ということでなければ、真の発展や繁栄はないと松下幸之助は考えたのである。そして、自社の繁栄は、あくまで共に栄えた結果として後から付いてくるものであって、自社の繁栄のみを目指すことは意義がないと考えるのである。企業の本来の“目的”であり、“使命”でもある、“人間社会の発展”には繋がら

ないからである。

 Copyright © 2017 Yuki Miyazaki  All rights reserved.

 

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