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松下幸之助の経営哲学-その真髄の理解と実践のために-

世の中に優れた経営者と言われる人は多くいますが、”経営の神様”と言われたのは、松下幸之助だけです。なぜでしょうか?それは、卓越した観察力で様々な人々を観察する中で、人間の”無限の可能性”と現実の姿としての”心の弱さ”という相矛盾する本質を発見し、そして、それらの双方の本質を共に活かそうとして、”自分の心を使いこなす”こと、また、それを応用して他人を使うことを極めたからだと言えるのではないでしょうか。つまり、松下幸之助の経営哲学は、”人間学の集大成”とも言えるものです。

本サイトでは、これまで必ずしも十分に解明されなかった松下幸之助の経営哲学の機能とメカニズムを現代の神経科学や脳科学、心理学、神経言語プログラミングなどの知見にもとづいて解明し、その全体像を明らかにして体系化したものです。これまで松下幸之助の経営哲学は知識として頭で理解することはできても、本当の意味で実践することは必ずしも容易ではありませんでした。しかし、本サイトが解明したその経営哲学を”血肉”となるほど自分自身の”信念”とすることができれば、その経営に、また、人生に自然と実践することができるようになるでしょう。そうすれば、結果は自ずとついてくるものだと言えましょう。                                    

 

                           2016年5月1日 著者 宮﨑 勇気                 

(2)「一商人なり」①商売の本質を分かっている②

September 1, 2017

3)お客様大事の心に徹する

 

(2)「一商人なりとの観念を忘れず」

   ②商売の本質を分かっている ②

 

 以上見てきたように、人間というものは、“自分が一番可愛いし、大切である”と考えるものであり、そこでは、脳の“快楽苦痛の原則”が働く。自分の愉快なこと、楽しいことを求め、苦しいこと辛いことを避けようとする。それが“人間の弱さ”を生み出す。“自己中心的な考え方”にとらわれ、“私の都合”から物事を見ている限り、“人々の役に立つこと”は、削除され、“盲点”となって見えなくなる。あるいは、“お客様”“人々の役に立つこと”が大切だと頭ではわかっていても、いざとなると、自分中心に物事を考えて、自分や自組織、あるいは自社の都合を優先してしまうのだ。つまり、“人々の役に立つ”アイデアが視野に入っていても、“私の都合”によって歪めて見て“軽視”する(“歪曲”)。そして、「必要ない」とか「コストがかかりペイしない」と決めつける(“一般化”)のである。結果として、“人々の役に立つこと”から離れていくこととなるのである。

 

 しかし、自分や自組織、あるいは自社の利益だけを考えて“私の都合”でやっても、商売というものはうまく行かない。“顧客の求めるもの”から離れて行くからである。そして、自社の提供する商品やサービスの良し悪しを最終的に判断評価するのは、顧客であり、しかも100%顧客が決定権を有しているからである。

 

 このように“人々の役に立つこと”を実践することを妨げるものが、“私の都合”であるならば、それを実践するためには、まず“私の都合”を克服すること、即ち、“自我”を抑制し、“自分を中心に考える”考え方から抜け出すことが不可欠である。そして、“自分”以外の“社会の人々”の利益を第一に考え、“人々の役に立つこと”に意識をフォーカスし、考えて、考えて、考え抜く。そうして、初めて“人々の求めるもの”が見えてくるのである。その上で、その“人々の求めるもの”を徹底して優先し、それを実現していくのである。

 

 このように“人々の役に立つこと”“商売の本質”であり、“王道”だとすれば、乗り越えなければならない課題は、まずは自分をあらぬ方向へと引っ張って行ってしまう恐れのある“己の欲望に克つ”ことに他ならない。その上で、“人々の真に求めるもの”を追求し、実現していく。つまり、ここでも“私的欲望”“公的欲望”に転換することが必要なのである。また、先に述べた通り、人間には、人を喜ばせることで自分も喜ぶという“利他的な本質”がある。“私心へのとらわれ”から抜け出し、“人々の役に立つこと”に意識をフォーカスして行く、それを繰り返して自身の“信念”とすることにより、“私的欲望を公的欲望に転換する”ことができれば、人間の“利他的な本質”が目覚めて、“人々の役に立つ”ための活動やそのプロセス自体が楽しくて仕方がない状態になる。それ故に、それまで苦痛と思われたことも苦痛とは感じられなくなり、人々を心から喜ばせるというより大きな“快楽”を追求するようになる。こうして、人間の“心の弱さ”を克服することができるのである。

 

 近江商人は、このような商売の真髄を、近江の地に布教に来た僧侶から学んだと言われる。高野山真言宗大僧正の大栗道榮氏は、次のように述べており、それは松下幸之助の考え方に通じるものがある。「商業も工業も、どちらも自分以外の人々の利益を考えるという基本的な心の行がなければならない。他人に利益を与えようとする心の行をすれば、自分に利益がかえってくる。これを“自利利他円満の功徳”という。利他の心とは、仏の心である。仏心をおこしてすべての人々を救おうとすることが、仏の行いである。この仏の心で仏の行いをする人を菩薩という。だから、商工業に従事するということは、仏の行い(すなわち菩薩行)をしているということになる。」(高野山真言宗大僧正大栗道榮著「空海」感動の人生学」より)
 

 それ故、先にも述べた通り、“私的欲望”を“公的欲望”に昇華させるということが、松下幸之助の経営哲学の根幹にある最も重要なテーマの一つとなっているのである。この点、松下幸之助は、次のように述べている。「商売というものは非常にむずかしい。しかしまた、一面非常にしやすいものだともいえる。・・・一言でいえば、おのれの心にとらわれてものを見る場合に、いろいろとむずかしさが起こってくるようだ。自分の立場からしかものが見られない。世間の声は二の次だという考え方でゆくと、ことごとに支障が起こってくる。ところが、自分は世間とともにあるのだ、また世間の人々はまことに親切に自分を導いてくださるのだというような考えのもとに、お客さんなり、お得意さんに接してゆくならば、商売というものは非常にしやすいものになると思う。」(「思うまま」p.142)

 

 この点を如何に重視していたかは、昭和14年の社内通達「経営の心得」3カ条の内の一つとして、次のように述べていることから明らかである。「経営と言い、商売と言い、これみな公事にして私事にあらず。・・・商売はつねに公の心をもって行い、いささかも私心をはさまざるよう心がくべし。」(昭和14年社内通達「経営の心得」より)

 

 そして、“商人の使命”について、松下幸之助は次のように述べている。曰く、「自分が儲けるために商売をするんじゃないわけですわ。社会的にする必要があるために、商売ができるわけですわ。だからね。そういう使命感というものをはっきりつかんでないと商売にならんと。」このように商売をする軸足は、“自分の儲け”(“私的欲望”)ではなく、“社会の必要を満たす”(“公的欲望”)ところになければならないとし、そのような“商人の使命”がわかって、しかも“人々の役に立つこと”を行うこと自体が商売の成功につながるという“商売の本質”がわかっていることが“一商人なりとの観念”の一部だと強調するのである。

Copyright © 2017 Yuki Miyazaki  All rights reserved.


 

 

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