RSS Feed

松下幸之助の経営哲学-その真髄の理解と実践のために-

世の中に優れた経営者と言われる人は多くいますが、”経営の神様”と言われたのは、松下幸之助だけです。なぜでしょうか?それは、卓越した観察力で様々な人々を観察する中で、人間の”無限の可能性”と現実の姿としての”心の弱さ”という相矛盾する本質を発見し、そして、それらの双方の本質を共に活かそうとして、”自分の心を使いこなす”こと、また、それを応用して他人を使うことを極めたからだと言えるのではないでしょうか。つまり、松下幸之助の経営哲学は、”人間学の集大成”とも言えるものです。

本サイトでは、これまで必ずしも十分に解明されなかった松下幸之助の経営哲学の機能とメカニズムを現代の神経科学や脳科学、心理学、神経言語プログラミングなどの知見にもとづいて解明し、その全体像を明らかにして体系化したものです。これまで松下幸之助の経営哲学は知識として頭で理解することはできても、本当の意味で実践することは必ずしも容易ではありませんでした。しかし、本サイトが解明したその経営哲学を”血肉”となるほど自分自身の”信念”とすることができれば、その経営に、また、人生に自然と実践することができるようになるでしょう。そうすれば、結果は自ずとついてくるものだと言えましょう。                                    

 

                           2016年5月1日 著者 宮﨑 勇気                 

4)人を使いこなす(3)“人間への愛”にもとづく経営⑤

April 28, 2017

4)人を使いこなす

 

(3)“人間への愛”にもとづく経営 ⑤

 

 この点、松下幸之助はどう考えたのであろうか?

 昭和4年の世界恐慌の際のエピソードとして、次のような話がある。

 

 病気療養中の松下幸之助の下に、人員半減やむなしとの提案を持ってきた経営幹部に対して、これを採用せず、「生産は直ちに半減する。しかし、従業員は一人も解雇してはならない。工場は半日勤務として生産を半減するが、従業員には給料の全額を支給する。その代わり店員は休日を返上して、在庫の販売に全力をあげてもらいたい。」と指示し、全社員の雇用を守った。曰く、「企業の都合で解雇したり採ったりでは、社員は働きながら不安を覚える。松下という会社は、ええときはどんどん人を採用して、スワッというとき、社員を整理してしまうのか。大をなそうという松下としては、それは耐えられんことや。曇る日照る日や。一人といえどもやめさせたらあかん。ええか、解雇無用やでッ。」

 

  “会社の都合”で人を扱うことで、社員に“不安”が生ずると、社員の立場に立って考え、社員に対する“副作用”“弊害”の大きさを重視して、解雇しないとの判断を下している。勿論、時代背景の違いはあるとしても、重要なことは、“物の考え方”である。両者の違いは、松下幸之助が強調したように、経営者に、“広い愛の心、慈悲の心”、さらには、“人類に対する愛”があるかないかの違いである。「人事の基本方針」の中で、松下幸之助は、次のように述べている。曰く、「経営の衝にある責任者は常に、部下の将来の向上・発展と、生活の安定に強い責任を感じ、大きな愛情をもって、部下の指導育成に努めなければならない。」

 

 さらに言えば、何のために事業を行っているのか、どのような経営理念の下に事業を行っているのかということに行き着く。この点「人間が相寄って、人間の幸せのために行う活動」“経営”だと捉える松下幸之助の考え方からすれば、経営の失敗を社員への事実上強制的な早期退職募集で尻拭いさせるような措置は決して出てはこない。そのような経営は、“理念なき経営”との非難を免れないであろう。

 

 さらに、このような管理型マネジメントが極端に行き過ぎるとどうなるか?近時の企業不祥事がそれを示している。例えば、不正会計事件の東芝の「チャレンジ」(経営陣が「3日間で120億円の利益を上げよ」などおよそ不可能な目標を求める)や燃費不正事件の三菱自動車の「燃費目標の5回にわたる引き上げ」(通常2回までが限界と言われる)のように、およそ達成不可能な目標を経営陣から強要されて、反論できない状況に追い込まれた社員は、結局、“数字をごまかして目標を達成したことにする”より他に“逃げ道”はないと感じて、“不正”に走ったのである。

 

 しかし、現在の顧客ニーズの主観化・多様化する社会では、何がヒットするかがわからない、顧客自身にもわからないことも多い。このような中では、松下幸之助のいう「杖で二尺先を確かめながら進む」経営、つまり、短期間に多くの失敗と試行錯誤、即ち仮説と検証を高速で繰り返し、そこから学んで、顧客の求めるものが何であるかを他社よりも早く見出して実現していくことが重要かつ不可欠であると言ってよい。これまでの多くの発明が“試行錯誤”の結果生まれてきたものであることは、歴史が示すところである。そのような“試行錯誤”や“失敗”を許容せずして“イノベーション(革新)”は生まれない。

 

 このように工業化社会の管理型マネジメントと松下幸之助の経営哲学によるマネジメントの違いは、突き詰めれば、その根底に“人類への愛”があるかどうかの点にあると考える。“愛”があるかどうかが、“経営者自身と社員の意識レベル”に違いを生み、さらに、その考えや行動を左右していると言っても過言ではない。経営者自身の経営判断に、“人間である社員たちへの愛”が反映されるか否か、また、経営者の方針・指示を受けた社員たちが、“愛”の“パワー”で行動するか、“恐れ”の“フォース(力)”によって行動するかの違いである。そして、後者については、人は自らの意思で“内発的動機”により行動するときにこそ、その能力を発揮すると言われている。他人から“力”によって“強制”された環境の下では、委縮して、社員たちの持てる能力は発揮されないし、“知恵”も出てこない。

 

 このように考えてくると、これからの“知恵の時代”には、松下幸之助の“人間への愛にもとづき、その本質を活かした経営哲学”に基づくマネジメントが益々必要とされるようになる。即ち、経営者は、“愛”“思いやり”を持って、社員を“人間”として大切にし、現代型の社員福祉制度の下、個人生活の“不安”をできる限り取り除く(高い社員満足度)、また、社員の“主体性”を軸として、“社会の発展の原動力となる”という高い志(使命)を社員に示し、その“利他的な人間の本質”を引き出して、“内発的動機”から“意欲”と“エネルギー”を生み出す、さらに、そのプロセス自体において、社員たちが“社会や人々の役に立つ”という“遣り甲斐”と“喜び”を感じて、ワクワクしながら“愉快に働く”ように喚起し、脳を活性化させて、創造力、潜在能力と“知恵”を引き出す、その上で、そのように能力を発揮する社員の“衆知を集めた全員経営”を行うというものである。

 

 しかしながら、現実の世界では、企業においても、必ずしもそういう“愛の心”が十分に発揮されてはいないように見える。それはなぜか?

 

 この点、松下幸之助は、「お互いの心がいろいろなものにとらわれている、だからその本来もっているあたたかい心があらわれてきにくいのではないかと思います。」と述べ、自分の利害や立場、意見や主張などいろいろなものにとらわれてしまうと、人間が本来持っているあたたかい心、思いやりの心があらわれてきにくいと言う。そして、「素直な心が高まったならば、人間が本来備えている広い愛の心、慈悲心というものが何ものにも妨げられることなく、十二分に発揮されるようになるのではないかと思うのです。」(「素直な心になるために」pp.68-69)と述べている。ここでも、人間が“私心”に“とらわれ”、“素直な心”を失っていることに最大の原因があるとする。経営者が特に留意すべき点である。

Copyright © 2017 Yuki Miyazaki  All rights reserved.

 

 

Please reload

  • Black Facebook Icon
  • Black Twitter Icon
  • Black Pinterest Icon
  • Black Flickr Icon
  • Black Instagram Icon

Copyright © 2016 Yuki Miyazaki  All rights reserved.

This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now