RSS Feed

松下幸之助の経営哲学-その真髄の理解と実践のために-

世の中に優れた経営者と言われる人は多くいますが、”経営の神様”と言われたのは、松下幸之助だけです。なぜでしょうか?それは、卓越した観察力で様々な人々を観察する中で、人間の”無限の可能性”と現実の姿としての”心の弱さ”という相矛盾する本質を発見し、そして、それらの双方の本質を共に活かそうとして、”自分の心を使いこなす”こと、また、それを応用して他人を使うことを極めたからだと言えるのではないでしょうか。つまり、松下幸之助の経営哲学は、”人間学の集大成”とも言えるものです。

本サイトでは、これまで必ずしも十分に解明されなかった松下幸之助の経営哲学の機能とメカニズムを現代の神経科学や脳科学、心理学、神経言語プログラミングなどの知見にもとづいて解明し、その全体像を明らかにして体系化したものです。これまで松下幸之助の経営哲学は知識として頭で理解することはできても、本当の意味で実践することは必ずしも容易ではありませんでした。しかし、本サイトが解明したその経営哲学を”血肉”となるほど自分自身の”信念”とすることができれば、その経営に、また、人生に自然と実践することができるようになるでしょう。そうすれば、結果は自ずとついてくるものだと言えましょう。                                    

 

                           2016年5月1日 著者 宮﨑 勇気                 

(2) とらわれない素直な心②

July 1, 2016

3.人間大事の経営

 

2)人間の本質を活かす-「すべては心の持ち方次第」「自分の心を使いこなす」

 

(2)とらわれない素直な心

 

 それでは、この「素直な心」がないと、他にどのような弊害があるのであろうか?

 

 情勢に流され易いのも、人間の特徴であり、弱さを生む。

 

 即ち、物事がうまく行けば、有頂天になり、“傲慢”になって独断専行し、うまく行かないと意気消沈して、元気も知恵も出てこなくなる。“驕る平家は久しからず”の言葉にある通り、“驕り”ということも、人間が繰り返し犯してきた過ちである。松下幸之助は、人間は、「素直さを失ったとき、逆境は卑屈をうみ、順境はうぬぼれをうむ」と言う。これも、自分を中心に考え、自分の利害や感情にとらわれた姿故だと言えよう。

 

 また、“素直な心”を欠く私心にとらわれた“人間の現実の姿”にこそ、人間がその本来持つ“偉大な本質”を発揮できないでいる理由があると言う。曰く、「人間には、万物を支配活用することのできる偉大な万物の王者たる本質を与えられているけれども、その人間の偉大なる本質というものが実際に発揮されていくためには、素直な心が不可欠である、即ち、私たち人間が、“万物の王者”たるの自覚をもって一切のものをあるがままに認めることによって、適切な処遇を行ってこれらをともどもに生かしていくことができるのだ。」と言う。(「素直な心になるために」pp.18-19)

 

 松下幸之助は、他にも素直な心のない場合の弊害について、具体的に挙げている。それは、“私心”にとらわれた“心の弱さ”の現れであり、それが人間の現実の姿である場合が多い。

 

 第一の弊害は、「衆知が集まらない」、つまり、「人のことばに耳を傾けようとしなくなり、その結果、衆知が集まらないようになる」人の忠告や助言を聞き流したり、拒否したりするのだ。自分の考えは絶対に正しいから、人の意見を聞く必要はないと決めつけたり、兎に角自分の好きなようにやりたいと、人の意見を聞きたくないと思ったり、人への不信感からまともに受け取れない。(「素直な心になるために」pp.116-117)自分の考えにとらわれて、それに合わない情報や合わないと自分が勝手に決めつけた情報を“削除”するからである。その結果、本当は自分にとっても価値のある重要な情報までをも切り捨ててしまうことにもなる。

 

 第二の弊害は、「固定渋滞」、つまり、「現状にとらわれて創意工夫を怠り、進歩向上のない固定停滞の姿が続いていくようになる」「現状をよしとして、改めるべきをも改めようとせず、いわゆる固定というか、停滞という状況のままに推移していくといった姿があらわれる」(「素直な心になるために」p.120)

 

 素直な心がないと、変化に適応して、自ら変わることができず、進化しない。現状やそれまでの常識や技術、自身の成功体験といったものにとらわれて、そこが居心地のいい領域(コンフォートゾーン)となり、その中にいると居心地がいいが、その外に出て自らを改めようとすると緊張とストレスを感じて、居心地が悪いため、直ぐにコンフォートゾーンに引き戻されるのである。

 

 第三の弊害は、「とかく物事にとらわれがちとなり、ついつい無理をしてしまうことになりやすくなる」(「素直な心になるために」p.138)“無理”というのは、自然の理に反する無理ということだ。本人としては、無理をしているとは思っていないが、客観的にみれば、やはり無理なことを強引にやろうとしてしまうのだ。

 

 第四の弊害は、「自分の利害や立場などのみにとらわれがちとなって、個々人がバラバラとなって自分勝手な考えで行動しがちになり、共同生活の秩序も乱れがちとなる」(「素直な心になるために」p.142)常に自己中心的な考え方になって、組織の中では、組織全体が良くなるためにはどうすればよいかという“全体最適”の考え方に立つことができず、自分の属する部署が良ければいいという“部分最適”の考えや自分さえよければいいという“利己主義”の考えで行動してしまうということにもつながってくる。そうなると、組織の力は分散して、一つの方向に向かうことも困難となる。

 

 第五の弊害は、「率直にものをいうこともなく、素直に耳も傾けないために、互いの意思疎通も不十分となりがちである」ことである。(「素直な心になるために」p.146)組織の中で“縦割り組織”に分かれて、相互のコミュニケーションがうまく行かなくなると、連携して機動的に動けないし、また、三遊間のエラーも生じやすい。また、一つの部署の中でも素直な心が失われると、相互のコミュニケーションが滞り、相互に不要の誤解を生み、不信感が生じてくる。そうなると、組織の力は発揮できなくなる。

 

 第六の弊害は、「いろいろなムダや非能率が多くなって、生産性というものが低下するようになる」(「素直な心になるために」p.154)ことである。組織の中の各部門の長やメンバーが、夫々自分の利害や感情にとらわれてしまうと、顧客の方向に向かって真っ直ぐに“なすべきこと”をすることができず、自部門の都合で“なすべきこと”を決めて実行するため、結局後で全体から見ると、無駄なことであったり、他部門との調整からやり直す必要があったりという非効率な結果となってしまうこととなる。

 

 また、想定外の出来事が起こったときに、素直な心がないとどうなるかについて、松下幸之助は、次のように述べている。「大切なことは、何が起こっても、まず素直にその事態を受けとめるということである。とらわれた心、私心のある眼では、事態の本質を見誤ってしまう。・・・大事なときのとらわれた心は、それこそとりかえしのつかない一大事をひき起こす。」(「続道をひらく」p.167)危機管理においてこそ、冷静に客観的に目の前で起こっていることを捉えなければならないから、“素直な心”が大切だというのである。

 

 それでは、“素直な心”を持つことの効用とは何であろうか?

 

 先に述べたように、松下幸之助は、人の心の“伸縮自在”な“変化性”からそれを“選ぶことができる”ということに気づいて、「人生も仕事もすべては心の持ち方次第だ」と喝破し、事業経営においてあるべき“心の持ち方”のモデルを示したものが、松下幸之助の経営哲学上の様々な概念であった。

 

 しかし、それらの概念を頭で“知識”として理解していても、自分自身が“自我”にとらわれている限り、心は“自我”に縛られ、自己中心的な物の見方考え方から脱することはできないから、松下幸之助の提示する“心の持ち方”を自分のものとして“選択”することも、実践することもできないのである。

 

 仮に一時的に選択することができたとしても、直ぐに居心地のいい“自我”の殻(コンフォートゾーン)の中に引き戻されてしまうからである。そして、相変わらず“自己中心的な考え”から“自我”を核として自分の損得や好き嫌い、苦楽という物差しで、情報を選択し、物事の断片を歪めて認識し、判断して、決めつけてしまうのだ。

 

 それ故、一旦“私心へのとらわれ”の状態から抜け出し、自我に縛られた心を解き放ち、視野を広げて、それ以外の“心の持ち方”を認識し選択することができるような、いわば“中立的な状態”になることがどうしても必要なのである。

 

 即ち、その時々の周囲の情勢に流されることなく、また、“私心”にとらわれることなく「自分の心を使いこなす」、即ち、その時の自分の状況を最大限に活用するために最もよい“心の持ち方”を見出して、それを選択していくためには、まず一旦自分が今とらわれている固定的な考えから抜け出して自由になることが不可欠である。そして、それを可能とするのが“とらわれない素直な心”なのである。

 

 要するに、「自分の心を使いこなす」ための“鍵”は、まず“素直な心”を持つことにあるのだ。自動車のギアチェンジに喩えて言えば、この“素直な心”を持つことによって、“自分の心”を今のギア(今とらわれているもの)から引き抜いて、いわば次のギアへチャンジするための前提となる“ニュートラルポジション(中立的な位置)”に移行させることができるのである。

 

 この点、松下幸之助は、次のように述べている。「素直な心というものは、自由自在に見方、考え方を変え、よりよく対処していくことのできる融通無碍の働きのある心である。」(「素直な心になるために」p.55)「それは・・・一つの固定した考えに陥って思いつめるという姿から抜け出し」「融通無碍という心の働きは、・・・単に自分に都合のよいような見方、考え方に変えていくというのではなく、よりのぞましい、より正しい見方、考え方を求めて変化に応じていくわけです。」「真の素直な心になったならば、いかなる困難に出あおうとも融通無碍に対処して、みずからの歩みをきわめてスムーズに進めていくことができるようになると思います。」(「素直な心になるために」pp.56-58)

 

 「人間が自らの願いを実現するためには、それを実現するにふさわしいものの考え方や心の持ち方、態度や行動をあらわしていくことが肝要である。その根底をなすものが“素直な心”ではないかと思う。

 

 “素直な心”になることで、一旦“とらわれ”から自分の心を解放し、中立的なポジションに置くと、視野が拡がり、他の情報や選択肢にオープンになり、それらが初めて視界に入ってくるようになる。その上で、それらの中からその時々の状況における最適な“心の持ち方”に気づいて、それを選択していくという「融通無碍の働き」ができるようになるのだ。

 

 例えば、“自我”から抜け出して、“宇宙や社会の生成発展という使命を持つ万物の王者”という“高次の自己”に自己イメージを転換し、昇華させる。その結果、視点が上がり、意識の焦点が“自分の利益(私的欲望)”から“社会の利益(公的欲望)”へと転換されるのである。これが、“素直な心”の第二の実践的意義である。

Copyright © 2016 Yuki Miyazaki  All rights reserved.

 

Please reload

  • Black Facebook Icon
  • Black Twitter Icon
  • Black Pinterest Icon
  • Black Flickr Icon
  • Black Instagram Icon

Copyright © 2016 Yuki Miyazaki  All rights reserved.

This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now