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松下幸之助の経営哲学-その真髄の理解と実践のために-

世の中に優れた経営者と言われる人は多くいますが、”経営の神様”と言われたのは、松下幸之助だけです。なぜでしょうか?それは、卓越した観察力で様々な人々を観察する中で、人間の”無限の可能性”と現実の姿としての”心の弱さ”という相矛盾する本質を発見し、そして、それらの双方の本質を共に活かそうとして、”自分の心を使いこなす”こと、また、それを応用して他人を使うことを極めたからだと言えるのではないでしょうか。つまり、松下幸之助の経営哲学は、”人間学の集大成”とも言えるものです。

本サイトでは、これまで必ずしも十分に解明されなかった松下幸之助の経営哲学の機能とメカニズムを現代の神経科学や脳科学、心理学、神経言語プログラミングなどの知見にもとづいて解明し、その全体像を明らかにして体系化したものです。これまで松下幸之助の経営哲学は知識として頭で理解することはできても、本当の意味で実践することは必ずしも容易ではありませんでした。しかし、本サイトが解明したその経営哲学を”血肉”となるほど自分自身の”信念”とすることができれば、その経営に、また、人生に自然と実践することができるようになるでしょう。そうすれば、結果は自ずとついてくるものだと言えましょう。                                    

 

                           2016年5月1日 著者 宮﨑 勇気                 

(4)人間の現実の姿ー“心 の弱さ”①

June 24, 2017

3.人間大事の経営

 

1)松下幸之助の人間観

 

(4)人間の現実の姿-“心の弱さ”①

 

 以上のように人間の“無限の可能性”を強調する一方、松下幸之助は、いわばその対極にあるとも言えるような“人間の現実の姿”としての“人間の弱さ”を見逃さなかった。そのような「ダイヤモンドの原石」という本質を持ちながら、その“心の弱さ”から様々なことに“とらわれ”て、その“無限の可能性”という本質を現すことを妨げているのも、また人間自身なのだと考えた。そのような人間を「複雑怪奇なもの」とすら表現している。

 

 そして、“人間の現実の姿”として現れるその“心の弱さ”に打ち克つ手を打って行くことによって、初めて人間がその隠れた“偉大な本質”を発揮し、また、他の人間その他万物の本質を活かして、人間社会の進歩や発展を実現していくことができるのだと考えたのである。

 

 この点、経済学や経営学が“合理的な人間”が“合理的な判断と行動”をとることを前提としていることと大きく異なるところである。

 

 松下幸之助は、その丁稚奉公時代から、多くの得意先を訪問し、様々な人間の姿を数多く見てきた。また、大阪電灯時代や自ら会社を興してからも、様々な取引先や仕入先の人々、あるいは、従業員を見てきた。松下幸之助の捉えた“人間の心の弱さ”を写した言葉を以下に挙げる。その人間に対するその観察力と洞察力には、只々驚くばかりである。

 曰く、「人間であるなら、多かれ少なかれ必ず自意識というか、自己中心の損得意識というものをもっているものだと思う。」(「思うまま」p.74)人間である以上、誰にもその根っこに自分中心の損得意識があるというのである。

 

 「自分本位に走りがちなのは、人情の一面ではあるけれど、それでは結局はゆきづまる。」(「続・道をひらく」p.234)

 

 また、自分というものにとらわれると、「自分の考え、行動は絶対に正しい、だから、他人の助言を聞く必要がない、むしろそれはじゃまになる」と考えて、あるいは、「とにかく自分の好きなことをやりたいのだ、他人の意見など聞きたくないのだ」と自分のカラにとじこもろうとして、人のことばに耳を傾けようとしなくなると指摘する。(「素直な心になるために」pp.116-117)

 

 「人間だれしも自分が大事であり、可愛いものである。~しかしそうした自分の利害とか感情にとらわれてしまうと、判断を誤ることもあるし、また力強い信念もわいてこない。」(「指導者の条件」p.77)

 

 「ついつい目先の自分の利害得失に心奪われ、それにとらわれて物事を考え、判断を下し、行動をとっていくことになりかねない」(「素直な心になるために」p.125)あるいは、「物事を見、考える際に、ともすれば感情にふり回されるというか、感情にとらわれて事をあやまることが多くなるのではないかと思います。」(「素直な心になるために」p.130)

 

 「一人だけ先に進もうとか、自分だけうまくやろうとすると、落ち着きを失ってしまうそこに人を疑うといった心も起こってきて、間違いが生じてくる。」また、「物事の一面のみを見て、それにとらわれがちになってしまう」(「素直な心になるために」p.134)とか、「とかく意欲や欲望にとらわれがちとなり、また、何かの必要に迫られて心に余裕がなくなって、ついつい無理をしてしまうことになりやすくなる」(「素直な心になるために」pp.138-140)

 

 「人間というものは、ともすれば一つの考えにとらわれがちである。特に過去の常識とか通念というものからなかなかはなれられないものである。」(「指導者の条件」p.159)

 

 「人間には好き嫌いといった感情もあれば、いろいろな欲もある。それは人間に本来備わっているもので、それをまったくなくすことはできない。・・・したがって、そうした自己の感情なり利害というものに、ともすればとらわれがちになるのも人間の一つの姿である。あるいは、最近のように学問、知識が進み、またいろいろな主義や思想が生まれてくると、そういうものにとらわれるということも出てくる。」(「実践経営哲学」p.165)専門家と言われる人々が、その専門知識にとらわれると、視野狭窄となり、柔軟性が失われる。

 

 「どんな賢人でも、その人一人の知恵には限りがあって、だから自分の知恵才覚だけで事を運べば、考えがかたくなになる。視野がせまくなる。世のなかのあわただしさに追われて、事を急ぐあまりに、ともすればひとりの知恵、ひとりの判断で事を処しがちなきょうこのごろである。」(「続・道をひらく」pp.164-165p)

 

 「・・・自分の目で見、自分の手でたしかめる―これほどたしかなことはないけれど、ともすればお互いに、自分の目のとどく範囲、手にふれる範囲のたしかさにとらわれて、これがすべてなり、これがまさに“世界”なりと速断しがちである。」(「続・道をひらく」p.162)つまり、目に見えないことが信じられない、信じようとしないということになる。

 

 「人間というものは弱いものである。如何なる場面に立とうと、自ら最善を尽くすという人は実際にはいない。人間は抜け通しである。誰かの監督や導きによって仕方なく、それもやかましく怒られて、仕方なくやってきたことが習い性になり、その人の立派な習性になって、それが生活となる。・・・人間というのはそんなに弱いものだ。偉そうなことを言っても、暗がりでは何をするかわからない。それが人間の一つの姿だ。」(「物の見方考え方」pp.130-131)最近の繰り返される企業不祥事を見れば、「人間というのは、弱いもの・・暗がりでは何をするかわからない。」という言葉が、真実味を帯びてくる。

 

 「人間は一面弱いもので、人が見ていないところではつい誘惑にかられてよくないことでもしてしまいがちである。実際のところ、警察というものがなければ泥棒もやりかねないといった面を多くの人が心の底に持っているのではないだろうか。・・・人間には誘惑にかられやすい弱さもあるが、同時に良心というものがある。」(「指導者の条件」p.65)

 

 「悪いとわかっていることはすぐにやめなくてはならない。だれしもそう考えているであろう。だから、やめようと決意する。が、さてとなるとなかなか決意どおりにはゆかず、よくないとしりつつも、どうしてもやめられないというのもお互い人間の一面であろう。」(「思うまま」p.100)


 あるいは、こうも言う。「人間は、易きにつきやすい。ああしなければと頭ではわかっていながら、自分が可愛いから、つい甘やかし、適当なところでお茶を濁しておきたくなる。」「人間というものは、とかく周囲の情勢に流されやすい。治にあれば治におぼれ、乱に会えば乱に巻き込まれて自分を見失ってしまいがちである。」(「松下幸之助一日一話」p.138)

 

 「起こってはならないことが、次々と起こってくる。起こってほしくないことが、次から次に起こってくる。~誰が起こしているのか。~困ることを起こしているのは、やっぱり人間自身である。~不用意な人間自身に因があるのである。因があるから、果があるので、不用意、不心得の因があれば、起こってはならないことも起こってくる。」(「続・道をひらく」pp.36-37)と述べ、“不用意な人間の心のあり方”そのものを問題視する。

 

 そして、“慢心”という人間の弱さについて、次のように述べている。「何ごとにおいても、三べんつづけて成功したら、それはまことに危険である。人間の弱さというか、うぬぼれというか、安易感というか、つづけて三度も調子よくいったなら、どうしても自己を過信する。自分は大したものだと思うようになる。そして世間を甘く見る。そこから、取り返しのつかない過失を生み出してしまう。」(「続道をひらく」p.246)あるいは、「うまくいっているとどうしても安易になる。十年もうまくいったら、どこかに必ずゆるみが出てくる。人間の弱いところです。」(「経営のコツここなりと気づいた価値は百万両」p.30)

 

 このように成功が続いて、居心地のいい“現状”にとらわれると、「現状をよしとして改めるべきをも改めようとせず、いわゆる固定というか、停滞というか、そういう状況のままに推移していくといった姿があらわれるのではないかと思うのです。」と言う。(「素直な心になるために」p.120)

 

 「人は追いつめられたときにこそ、いい知恵が出てくるものである。」(「リーダーになる人に知っておいてほしいこと II」松下幸之助述松下政経塾編p.42)逆に言えば、人は追い詰められない限り、なかなか本気で考えないということになる。

 

 「人間というものは、時に迷ったり、おそれたり、心配したりという弱いともいえる心を一面に持っている。だから、事をなすにあたって、ただなんとなくやるというのでは、ともすればそういった弱い心が働いて、力強い活動が生まれてきにくい。」(「指導者の条件」p.83)

 

 「人間というものは、一面において熱しやすく、また反面においてはさめやすい。いくら固い誓いを立てても、月日の経過とともに、しだいにその固さはとけて弱くなっていく。しかも、ともすれば自分を甘やかしがちなのがお互い人間である。・・・松下電器の場合も、いくらみんなが使命に目ざめたからといって、それが未来永遠に続くというか、いつまでも変わらぬ力強い歩みが続くとは限らない。放っておけばそのうちに、使命を見出した喜びも感激もうすれて、しだいに安きに流れ、ただなんとなく仕事を進めるといった姿にも陥りかねない。

 

 さらに「“欲と二人連れ”という言葉もあるように、人間は自分の利益を中心にものごとを考え、行動する面がある。同じことをするなら利益が多い方がいいというのが人情である。だから人を使う場合でも給料は多い方がいいということになる。そうした人間の心情を無視して、不当に安い給料で人を使おうとすれば、「それではかなわん」ということで去っていくか、あるいは、意欲をなくして十分に働かないということになってしまう。だから給料は適正妥当な範囲において、なるべく高い方がいいわけである。しかし、給料さえ高ければ、それだけで人は喜んで働くかというと必ずしもそうではない。~結局、人間には“欲と二人連れ”で、利によって動くという面と、使命に殉ずるというといささか語弊があるが、世のため人のために尽くすところに喜びを感ずるといった面とがあるわけである。」(「人事万華鏡」pp.169-170)

 

 また「いくら人智が進んでも、いくら考えつめてみても、やはり明日をも知れぬわが身である。~だから人さまざまの期待と不安が入りまじり、事あるごとに楽観したり悲観したり。そんな毎日、そんな刻々である。~悲観楽観が心に波打つのは、人としてやむを得ぬ姿。」(「続道をひらく」pp.154-155)と、常に変化して止まない人の心の特徴を捉え、さらに次のように述べている。

 

 「人間というものは、気分が大事な問題です。気分がくさっていると、立派な知恵、才覚をもっている人でも、それを十分に生かすことができません。しかし気分が非常にいいと、今まで何ら気づかなかったことも考えつくというように、だんだんと活動力が増してきます。そこから成功の姿、発展の姿も出てきます。それでさらに気分がよくなってくる、というわけです。こういうように、人間の心というものは妙なもので、希望がもてたり、将来性というものが考えられると、「よしやろう!」という気分になります。そうするとまたやれるものです。そこに考えもつかないような発展性が生まれたり、発明心が起こったり、あらゆる仕事の遂行にいい方針が見出される、ということにもなるのです。それに反して、気分がくさってくると、別に悲観するようなことでなくても悲観と結びついていく。だんだん気が縮んでいき、おもしろくない、仕事を捨てよう、というような気分が出てきます。著しい場合にいたっては、それを通り越して、自殺するような極端に悲観的な気分も湧いてきます。・・・そういうことを考えてみると、人間の心ほど妙なものはないと思うのです。それほど変化性が高いのです。」(「道は無限にある」)

 

 さらに「人間は心一つで弱くも強くもなる」、即ち、人の心は孫悟空の如意棒のように大きくも小さくもなる伸縮自在のものだと言う。曰く、「たとえば、恐怖を抱いたり、悲観をした上でものを考えると、心が委縮して小さくなり、出すべき知恵、出るべき創意工夫も出ないようになってしまう。しかし、たとえ非常な困難にぶつかったとしても、“なにくそ、やればできるのだ”というように考えて、その困難に人一倍の努力をもって対処してゆけば、心も自然に大きくなってくる。~すぐれた創意工夫も生まれやすく、そこからその困難をのり越えることも可能になってくるであろう。」(「思うまま」p.30)

 

 「人間というものは往々にしてうまくいかない原因を究明し反省するよりも、「こういう情況だったからうまくいかなかったのだ。あんな思いがけないことが起こって、それで失敗したのだ」というように弁解し、自分を納得させてしまう。」(「松下幸之助一日一話」p.188)

 

 「人間一面うかつなもので、みずからが刻々にその原因をつくり出していると何となく気づいていながらも、いざ事が起こってみないと、それが身にしみて省みられない。」(「続道をひらく」p.158)

 

 人を使うという観点から、松下幸之助は、人間を観察し、次のように述べている。

 

 使う立場の人間について、「ともすれば、限られた面だけを見て、人の長短を判断し、あれは有能な人材、これは無用の存在といったふうにきめつけてしまいがちである。」(「指導者の条件」p.107)

 

 「人間は、ノドから手が出るほど欲しい物でも、与えられ方が気に入らなければ、憤然としてそれを拒否することもある。」(「人間万華鏡」p.159)

 

 また、曰く、「人間は概して易きにつきやすいものである。厳しく注意されたり叱られたりする、いいかえればある種のこわさというものがなければ、ついつい安易に流れてしまう。こわさがあって、はじめて、みずからを引き締めて事にあたるという面もあるのが人間である。」(「人間万華鏡」p.106)それ故、誰か(例えば、株主や世間)に見られているという意識を失った経営者は、暴走してしまう恐れがある。

 

 「こわいもの知らずほど危険なものはない。人間はこわいものがあってこそ自分を正しく律しようとするものである。だから、安易な温情主義はかえって人を損なうものだと思う。」(「人間万華鏡」p.106)

 

 人が集まると、どうなるか?曰く、「どうしても自分の利害とか立場などのみにとらわれがちとなってしまいます。そのために、何が正しいのか、何をなすべきか、といったことがわからなくなり、したがって正しいことに毅然として従うという姿も見られず、めいめいがいわば自分勝手な考えをもって行動しがちになるのではないでしょうか。つまり、みんながバラバラで、自分の思い通りに行動しようとするわけですから、共同生活全体の秩序というものが成り立ちにくくなってしまうわけです。」(「素直な心になるために」pp.143-144)ここから、組織内での“部分最適”の考えと行動が生まれてくる。

 

 さらに、「いろいろなことにとらわれたり、こだわったりして、とかく率直にものがいえないといった姿にも陥りかねない。また聞く側にしても、自分なりの先入観や考えにとらわれがちとなって、相手のいうことを率直にありのままに聞くといった態度を見失いがちとなる。このように、往々にして互いの意思疎通が不十分になってしまう。」(「素直な心になるために」p.146)

 

 組織のためにチームワークで働けない人も現れてくる。「お互いが注意しなければならないことは、仕事に熱心のあまり、自我というものにとらわれて、勝手な独断の行動に走りやすいことです。・・・伝統もかえりみず、方針を等閑視して、せまい自分の主観から生まれてくる判断で行動するときは、その努力、才能がすぐれていればいるほど、かえって会社を苦しめることとなるのです。」(「わが経営を語る」p.38) 

 

 このような“人間の弱さ”は、経営者のレベルと社員のレベルの双方において現れる。経営者には、その経営判断の誤りとして現れ、また、社員には、姿勢や行動に現れる。

 

 即ち、自分の得になることだけをやる、好きなことを好きなようにやる、低い目標でお茶を濁す、やった振りをする、また、辛いことや苦しいことを避け、言われたことだけを仕方なくやるという姿勢や自分の能力を出し切らない、気分によって仕事にムラがあるという行動として現れることとなる。

 

 また、経営環境の変化に適切に対応できず、うまく行かないときには、自分を守ろうとして環境や他人のせいにするという形で、人間の弱さは現れる。

 

 言い換えれば、経営に関わる人間は、経営者も社員も、決して“常に合理的に考えて行動する合理的な人間”などではなく、恐れや悩み、不安や不満を持ち、情勢に流されやすく、有頂天になって傲慢になったかと思えば、意気消沈して何も手につかないというように、様々な感情に揺れる“生身の人間”なのだ。

 

 それ故、経営者自身も感情に流されて意思決定を誤ることもあるし、また、仮に経営者が、如何に優れた戦略を立て、優れた組織をつくったとしても、その戦略を実行する社員がそれに心から賛同し、“やる気”になってその持てる力を最大限に発揮しない限り、それは“絵に描いた餅”に帰することとなる。

 

 業績の上がらない会社の多くは、実は、同業他社との市場での競争に負けているのではなく、むしろ、経営者自身が、また社員たちが、こうした“人間の弱さ”に打ち克つことができず、その結果、方向を誤り、また、力を分散させて、力を出し切れないままに“自滅している”のである。

 

 それは、実際の経営において、経営者が、自分自身を含めたこの“人間的な部分”を“経営上の課題”として明確に認識せず、あるいは、自分の役割ではないと見て見ぬ振りをし、“放置”している結果であると言っても過言ではない。このように“経営”というものが、“心の弱さ”を持つ生身の人間によるものである以上、如何にして経営者自身が人間の心の弱さを克服するか、また、如何にして社員たちを会社の方針に従わせ、本気にさせるかということが、実は最も重要な“経営の課題”と考えなければならないのである。

Copyright © 2016 Yuki Miyazaki  All rights reserved.

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